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同じ悩むなら具体的に悩む。

「悩み」というネガティブな要素を自分の中に溜めておくと、それはいずれ毒になって精神を蝕みはじめる。しかし「目標」や「解決すべき課題」というポジティブなものに変えることで、極端な話、「悩み」などというよくわからない感情を抱くことはなくなると思っている。

いい加減なアドバイスをするくらいなら、口をつぐんでいた方がマシ

まだ何も行動していないのにアドバイスしてほしがる人って、責任の所在を自分に置きたくないから相手に委ねたいのかもしれない。つまり「失敗の責任はアドバイスしてくれた人にある」としたい。そうすれば自分は楽だから。「アドバイス通りにやったのに失敗したじゃないか、どうしてくれるんだ!」って言えちゃいもする。

その価値観は許されている。正しいんじゃない、ただ許されているだけだ。

「確固たる自分」が考えたことは、正しいのではなく、そういった考え方が許されているだけ。そう考えれば、相容れない意見と折り合いをつけられる。

言葉を吟味するということ

言葉は、口に出したり、文字として書き出した瞬間から強い力を持つ。良くも悪くも、人は言葉に縛られる。だから、たいして思い入れもない言葉を軽々しく表に出すことは避けた方がいいと思っている。そうした薄っぺらい言葉を表に出せば出すほど、発した人の価値を下げていくのではないだろうか。

幸福とは「選択」の問題である。

幸運とは実は、コイントスで偶然勝つかどうかというような「確率」の問題ではなく、「選択」の問題だ。可能性を信じる楽観的な態度で状況にアプローチし、出くわしたチャンスを生かすという姿勢を、あなた自身が積極的に選択するかどうか、ということなのだ。

誰かを深く信じこみそうになったら思い出したい3つのこと

怖いのは、ひとりの人をあがめ奉ってしまうこと。その人との関係性を守りたいがために自分を殺して変化を拒むこと。ロールモデルがひとりしかいない人にありがちだけど、簡単に誰かを「信仰」してしまわないよう、注意した方がいいと思う。

「何でもいいから話せ」という暴力

発した言葉は自分を縛る。ひとつひとつの言葉に責任を持ちたいと思うなら、頭のなかにいるもうひとりの自分に問い合わせ、「よし!言ってOK」と決断されない限り、なかなか言葉として発することはできないものなんじゃないか。

「職業に貴賎なし」を疑う

「職業に貴賎なし」を信じるかどうかはその人の価値観なので、正直どうでもいい。ただ、この言葉が本当かを問うのは不毛だと思う。「二兎追う者は一兎をも得ず」が真実か問うても意味がないのと同じ。「一石二鳥」の価値観を持っている人とは、折り合えない確率が高い。

望まぬアドバイスの罪

情報過多で選ぶことに疲れた人たちにとって、レコメンドやキュレーションといった、ある種のおせっかいなアドバイスはありがたいものなのかもしれない。しかし、ことスキゾイド的気質の人においては、「余計なお世話」に成り下がる。

キャリアの選択に、間違いなどない。

「正しい選択」なんてものは存在しないし、あるとしたら「正しかった選択」でしかない。あとでふり返ってみて、「自分の選択は正しかったんだな」とか「もうひとつの方を選んでいたら違ったかな」と考えることはあるかもしれないが、その都度しっかりと考えて自分で選んだ選択に、間違いなんてものはないと言い切れる。

仕事に誇りをもつと、見えなくなるものがある

職業に貴賎はない。こんなものは嘘っぱちだと誰もがわかっている。さらにいうなら、人間にも貴賎はある。この放送で彼らに忌避感を抱いたのは、職業に貴賎があるからなのか、それとも人間に貴賎があるからなのか、それが今でもわからない。ただ一つ言えるのは、誇りがあろうとこんな仕事は必要ないということだけだった。

「将来の夢は新郎」という男の子はいない

ブライダル業者がもちかける「一生一度の晴れ舞台ですから」という売り文句に、流されるがままにオプションをホイホイつけていくことで愛情深さが測れるのであれば、そんな愛などいらない。