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キャリアの選択に、間違いなどない。

「正しい選択」なんてものは存在しないし、あるとしたら「正しかった選択」でしかない。あとでふり返ってみて、「自分の選択は正しかったんだな」とか「もうひとつの方を選んでいたら違ったかな」と考えることはあるかもしれないが、その都度しっかりと考えて自分で選んだ選択に、間違いなんてものはないと言い切れる。

仕事に誇りをもつと、見えなくなるものがある

職業に貴賎はない。こんなものは嘘っぱちだと誰もがわかっている。さらにいうなら、人間にも貴賎はある。この放送で彼らに忌避感を抱いたのは、職業に貴賎があるからなのか、それとも人間に貴賎があるからなのか、それが今でもわからない。ただ一つ言えるのは、誇りがあろうとこんな仕事は必要ないということだけだった。

「将来の夢は新郎」という男の子はいない

ブライダル業者がもちかける「一生一度の晴れ舞台ですから」という売り文句に、流されるがままにオプションをホイホイつけていくことで愛情深さが測れるのであれば、そんな愛などいらない。

「好き」の知識競争は不毛だ。

「読書が好き」だからといって月に5冊しか読んでいないことをバカにされる筋合いはないし、メジャーな作家しか好きじゃなくても、それをとやかく言われたくない。評論家や批評家なら話は変わってくるのかもしれないが、何でもかんでも勝負に持ち込まないでもらいたい。ただ「好き」なだけでいいじゃないか。

ワクワク至上主義の圧力

「ワクワクする」「楽しい」「面白い」といった基準で行われる意思決定は、それに合致する人で構成された組織の場合のみ、正常に機能する。耳心地の良い言葉だけに違和感なく受け入れてしまいそうになるが、あなたの感情はあなただけのものだ。だれにも代弁させてはいけない。

「成長」というマジックワード

生まれてこのかた、こんなにも成長を求められたことはなかった。学生時代でさえ、盛んに成長を謳う教師はいなかったし、日常のなかで成長を意識することもなかった。それだけに、こうも繁殖する「成長」という言葉に違和感を抱かずにはいられない。 成長って、そもそも大人になった人間に使うような言葉なんだっけ?

禁忌であろうと、知的好奇心を抑えるな

「共感できないなんておかしい!」「感情移入できないからおもしろくない!」……そういったユーザーの感想を熱心に取り入れ続けた結果、「無難」で「わかりやすい」作品ができあがる。これほどつまらないものはなんて、他にないと思う。

どうすれば「反省した」といえるのか

反省のメカニズムは「先に後悔、次が反省」。反省の言葉がすぐに出てきたとしても、それは本当に反省しているからではなく、罪を犯してしまったことを後悔しているからだと考える方が自然だ。

あなたが好き。だけど、あなたと一緒にいる自分が嫌い。

その人がいくらいい人と評判でも、一緒にいるときの自分が嫌いなら、その人と距離を置くのがベター。『脳内ポイズンベリー』を観てから、自分はそう思うようになった。

真実を話せば、あとは相手の問題になる

たとえ不都合な真実だったとしても、それが自分の納得する真実であるならば、話した瞬間から自分の問題ではなくなる。それからどんなことが起こったとしても、それは相手の問題。そこで自分がどうするかは、起こってから考えればいい。

「事実」と「真実」の決定的な違い

「私はこう思う」「私にはこう見える」といった主観が混じったものは事実と呼べない。事実とは「誰が見ても変わらないこと」と定義できるのかもしれない。