寂しいという感情がわからない

実にシンプルなタイトルのこちらの記事。これ、無意識のうちに自分で書いたのかなと一瞬疑ったくらい、感覚が自分とシンクロしている。

けっこう衝撃的な内容なので、私に対して「病院に行け」といったおせっかいなアドバイスしたくなるような人は読まないでいただきたい。

自分自身、寂しいという感情がよくわからない人間だと自覚しているが、それで特に困ってもいないし、治さないといけない類のものだは思っていないので。

まずは、少し引用してみたい。

生まれつきわからないのか、育ち方の問題でわからなくなったのかは不明です。進んで人付き合いをする方ではないけど、社会的に浮いてしまうような拒絶的なことはしません。

親族付き合い、仕事の付き合いは、必要十分の範囲でこなしてます。私的交友は人数も頻度もかなり少ないです。ただ例えば10年会わずにいても、昨日会ったのとそんな変わらずに付き合えるような感じです。

静かな空間が好きで、引きこもり志向です。書斎で、本に囲まれて、ネットにつながったPCがあれば連続で何ヶ月でも過ごせると思います。賑やかな空間は、昔はかなり苦手でしたが、今は長時間でも耐えられます。これは社会人になってからの訓練によるものです。社会に適応する必要から、わかる人に話を合わせることや、わかる人のフリはできるようになってます。

必要なら、そういう人が寂しい思いをしないように、自発的に配慮をすることもできます。これはある程度の訓練と経験を積み、類推力を利かせれば、それほど難しくはありません。でも肝心の寂しいという気持ちは未だにサッパリわかりません。

※適宜改行を追加

完全に同感。

基本的に人付き合いは苦手で、可能ならずっと家にひとりでいたいタイプの人間だけど、人と会わなければならないシチュエーションでコミュ症的な行動を取ることはない。いわゆる社会常識はきちんと把握しており、わざわざ場の雰囲気を壊す真似をしようとも思わないし、空気を読むのは非常に得意な方だと自覚している。

地元は京都で、東京に出てきて10年ほど。地元に現在も続く関係の友だちはひとりもいない。学生時代は数人よく遊ぶ友だちがいたけれど、就職するタイミングで関係が離れ、それ以後特に会うきっかけもなければ会おうとも思わず、結果的につながりは切れてしまったようなもの。そして、それを寂しいとは思わない。

当時の友だちとはもう15年近く会っていないことになるが、もし何らかのきっかけで会うことがあれば、まるで最近会ったかのように接することは可能だし、そうするのにやぶさかではない。

自分からきっかけをつくろうとしないだけで、例えば同窓会の案内が来て時間と時期に余裕があり、地元に帰る用事と合わせられるのであれば行くかもしれない。といっても、べつに当時の友だちに会いたいわけではなく、ただ都合が合ったからくらいの感覚だが。

学生時代に少ないながらも友だちはいたとはいえ、校内でひとりになってしまうことは多々あった。しかしそれに寂しさを感じたことはない。人によってはトラウマになるであろう「はい、ペアつくってー。」という先生からの指令でひとり余ってしまったとしても、特に何か感じたことはない。

記憶のある小学生時代からそうで、中学→高校→大学→就職後のそれぞれの節目をこえて友だち関係が続いたこともほとんどない。しかし不思議なことに、友だちをつくるのに苦労した記憶もない。こういう性格の人間には、それに合った交友関係ができるものなんだろうか。

また、外に出るのが億劫なほどではないが、家につくった小サイズの書斎に居られればそれで満足を得られ、インターネットにつながったパソコンと数多くの本があればそれで構わない。物欲もないので、新刊を買うお金があればだいたいは問題なく過ごせる。

自分に寂しいという感覚はないが、「人はどういうときに寂しいと思うのか」については、これまでに読んだ本と、つきあってきた人との経験で何となくわかっているつもりだ。だから人が寂しいと思わないように振る舞うことはできる。しかし、自分も寂しいからという感情による行動ではない。極めて理性的な判断によって行っている。

……

ザッと述べてみたが、驚くほど元記事を書かれた方と経験がダブっている。べつにこの性格について悩んでいるわけではないが、同じような人はいないだろうと思っていただけに衝撃だった。

「寂しい」という感情は必要なのか?

こんな人間がいるのかと恐れ慄く人がいるかもしれない。こんな性格で35年ほど生きてきたもの、まったくと言っていいほど困ったことはない。むしろ関わってきた人たちが頻繁に「寂しい」とつぶやいているのを聞くにつれ、そんな感情が自分にはなくてよかったなと心底思う。

実生活が破綻するほどにこういった性格が災いしているのであれば別だが、日常生活はもちろん社会生活を送るのに問題は生じていないし、フリーランスとして働いていたときも会社員のときも、何の問題もなく生きてこられた。

寂しさで心を壊して病んでしまうくらいなら、こんな感情、無い方がマシではないだろうか。正直、自分は生きやすくて助かっている。世間からはそう見られないけれど。

ちなみに、こういった性格の持ち主は「スキゾイド(シゾイド)パーソナリティ」という人格障害と判断されることもあるそうだ。もしそうだとしても、自分は特に「普通」であることを求めようとは思わない。

この記事にオチはない。こういった性格の人間も、うまく世間に馴染みながら生きているんだよと理解してもらえたら、それで満足だ。

Photo by Mateus Campos Felipe on Unsplash