それなりの期間つきあっていた彼女と別れることになり、「恋ってなかなかうまくいかないものだなぁ」と物思いに耽っていたある日のこと。

自分とは逆に、ずっと好きだった女の子とつきあいはじめたばかりの知人が「それは本当の恋じゃなかったんだよ、お前もいつか本当の恋にめぐり逢えるさ♪」と満面の笑みを浮かべて諭してきた。

そのときは只々イラッとしただけだったが、かけられた言葉にどこかモヤモヤしたものを感じたのを覚えている。そのモヤモヤが何かわかったのは、件の知人が数ヶ月も持たずに破局してしまったときだった。

「本当の恋」という詭弁

落ち込んでいた友人がつぶやいたのは「アイツとは”本当の恋”じゃなかったんだ…」という言葉。

要するに、恋沙汰で盛り上がっている最中のカップルがのたまう「本当の恋」なんて、何の信用もならないってことだ。私が抱えていたモヤモヤは、「本当の恋って何だよ!?」というわだかまりだった。

その恋が「本当に正しいか」なんて、その時点でわかりっこない

で、「本当の恋」って何なんだよ、と。

もし死ぬまでお互いを想い続けられることを「本当の恋」と呼ぶのなら、誰かが「本当の恋」をしているか、自分が「本当の恋」をしているか判断するには、今際の際にならない限りわからないことになる。

「次の恋は必ず“本当の恋”にする」とか「次の転職は“本当の天職”にする」と考えることって、ムダな選定に時間を費やしすぎているように思う。恋や仕事に限った話ではないが、究極のところそれが「本当かどうか(正しいかどうか)」なんて、その時点でわかりっこない。

どれだけ時間をかけて選定してもダメなものはダメだし、続かないときは続かない。いつとははっきり言えないが、後にふとふり返ってみて、「ああ、あの選択は正しかったんだな」とやっとわかるものなんだろう。

だから、何かフィーリングが合うとか、何となく話が合うなぁとか、そんな感覚でつきあったりしてもいいし、結果やっぱり合わないことがわかったらサッパリ別れた方が幸せになれると思う。恋愛なんてそんなもの、って考えた方がラクなのでは。

感情が肥大している最中の人の言葉は、冷静に受け止めたほうがいい

別に統計を取ったわけでもないし、科学的な根拠があるわけでもない。しかも私が「本当の恋」とやらに懐疑的であることが前提にある。しかし、「本当の恋」という女性誌の見出しによくある言葉に踊らされるのがいいことだとは思えない。

恋に失敗してしまったときに、それは「本当の恋」をしていないからだと諭す人がいても、凹んだり気に病んだりする必要はない。自分が「本当の恋」をしているかなんて他人にはわからないし、恋のウマいヘタで上下関係ができるわけでもないのだから。

気安く「本当の恋をしろ」なんて浮ついた言葉を使う人を信用しないようにする。感情が肥大している最中の人の言葉は、冷静に受け止めたほうが無難だと戒めている。