「その価値観は許されている。だが、忘れるな。その価値観が正しいんじゃない。ただ許されているだけだ。ほかのあらゆる価値観、あらゆるエゴと同様、その存在を許されているだけだ。」

マンガ『鈴木先生』7巻に、こんなコトバが出てくる。

避妊について生徒に話をする場面でこのセリフが使われるのだが、「許されているだけ」という考え方は、ひょっとすると人間同士が理解し合うためにとても役立つものではないか。そんなことをふと思った。

多様性の時代。個性を求められた人は、確固たる自分を見つけ出すために「学びの自由」「職業選択の自由」「結婚するかどうかの自由」など、さまざまな自由を駆使する。

選択肢が無いよりはいいと思うが、何を選ぶにしても「自己責任」だから、多少は縛られている方が身を任せることができて楽だ、と思う人もいるだろう。

でも、一見矛盾するようだけれど、自由にも束縛するものがある。それは自由の先に見つけた「確固たる自分」。

「確固たる自分」が考えたことは、確固たる自分を形成するものとなり、他人の違う考え方を受け入れようとしなくなる。人と違う価値観を持つことが許されているから、自分の価値観・考え方に固執することまでも許されてしまっている。“わかりあえない”とは、案外こんな思い込みから生まれているのかもしれない。

ここで自分に問いかけるべきコトバが、「許されているだけ」だ。

「確固たる自分」が考えたことは、正しいのではなく、そういった考え方が許されているだけ。そう考えれば、相容れない意見と折り合いをつけられる。

相手の意見を力技で叩き潰すでもなく、戦いを避けて自分の考えに閉じこもるでもなく、「そういった考え方もある」と折り合いをつけた上で、話し合うことができる。

すべての物事に当てはまるワケではないと思うし、自分もこの考え方をそれほど実践できていない。しかし、一悶着あったときに、折にふれて「これは許されているだけだ」と考えてみることで、ずいぶんと穏やかな気持ちになる一時がしばしばある。

個性重視の風潮に捕らえられ、コミュニケーション不全となって身動きが取れなくなっている人に、一度試してみてほしい。

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