物心ついてからの思い出があんまりないというか、思い出せないことが非常に多い。家庭環境が悪かったわけではなく、それなりに旅行にも連れていってもらったし、わりと遊びに出かけることも多かった方だと思う。恒例行事もメジャーなものはだいたい経験しているし、決してそれが「楽しくなかった」わけでもない。

なのに、なぜ思い出がないのか。または、あったとしてもなぜ思い出せないのか。これまでは、単に「記憶力がない」ということにして片付けてきた。

実際、学生のときに苦戦したのは暗記教科だったりする、それだけにわりと信憑性があったのも後押ししてくれた。皮肉なことに。でも、なんだか寂しいことだとは思う。

親は私のことを思って旅行やイベントに連れて行ったくれたのだろうし、自分だって楽しんでいたにも関わらず全然覚えていないっていうのは、やっぱり悲しいことだ。28歳くらいまで、こういった状況は続いていたと思う。社会人になっていろんな仕事をしてきたが、振り返ってみるとあんまり覚えていない。なぜなんだろうと考えたある日、ふと気づいた。

「自分で決めてない」から覚えてないんだ

あらためて人生を振り返ってみたところ、覚えていないのはことごとく「自分で決めていないこと」だった。もちろん全てではないが、大半が「人の判断で行なったこと」なのは確か。

例えば大学受験。

当時私は「この大学に行きたい!」という自分の想いが全くなかった。そもそも全然受験勉強をしていなかったし、大学に行きたいのかどうかもはっきりしないまま、何となく親が通っていた大学を受験し、担任がもっと上の大学を目指せというからその大学も受験してみたという意識の低さだった。

結果として「自分の勉強量では無理だろう」と思っていた後者の大学に合格したので鼻高々だったが、そもそもその大学のことを調べもしていない。この段階で自分が決めたことは、「合格した2つの大学のうち、どちらに行くか」くらいのものだ。

大学に入っても、講義の選択すらロクに自分で決めていない。他人の意見に流されるがまま講義を選択し、なんとなくうまくこなして単位を取り、なんとなく卒業したまで。

リアルな思い出は「自分で決める」ことから生まれる

さらにこれは就活にも引き継がれ、「何の仕事がしたいのか」「自分に適した仕事は何なのか」について真剣に考えないままそれとなく就職活動をし、ネームバリューのある会社を適当に選択して面接を受け、最初に内定を受けた会社にあっさりと決めたのも、早く就職活動を終えたかったからという始末。なので、ここまでの就職活動の記憶はほとんどない。あるのは、ただ「苦労したなぁ」という漠然とした想いだけ。

結局この後、「この会社ではダメだ」と気づいて内定を辞退し、再度就職活動を開始。大学4年生の10月頃に内定をもらったいくつかの会社から、「自分で選んだ」ところに決めて就職した。だからか、このあたりの気持ちや想いは明確に記憶している。

社会人になってからのことも、考えてみると「自分で決めたこと」は結構覚えている。人の判断で仕方なくやったことや、考えることを放棄して流れに任せていたときのことはほとんど覚えていない。改めて振り返ると、この考え方が見事に当てはまる。

そんな思考停止人生を長らく送ってきた自分だが、10年ほど前に「意識的に自分を変える決断を下した」ときからの記憶は山のようにある。もちろん、記憶の中でもわりと新しいものだから残っているだけということも考えられるので、確信しているとまではいかないが。ただ、「自分で決めたこと」は本当にリアルに思い出すことができる。

「決断」できることの少ない子ども時代の思い出について

さて、ではアタマに書いた、親子での行事やイベントの記憶についてはどうなのか。物心がついていたとはいえ、このときの私に「決断」ができることは少ないので、「自分が決めたこと」ではないから記憶がないのだとしたら、多くの人は子どものころの記憶がないことになってしまう。それはさすがにおかしい。

ハッキリとしたことは言えないが、いろいろと考えた末にひとまず結論づけたのは、それぞれの状況で自分は「他にもっと楽しいことがあるけど、せっかくだから楽しもうかな」という、半分ネガティブな気持ちでいたことが、記憶が薄くなる原因だったんじゃないかということだ。

他の楽しいことというのは、端的にいって「テレビゲーム」のこと。

私の生まれた年近くにファミリーコンピュータが発売されたこともあり、テレビゲームの成長とともに私は育ってきた。当然のようにハマり、正直言うと友だちと遊ぶよりテレビゲームしている方が楽しいとさえ思っていた。つまり、「友だちと遊ぶより楽しい、テレビゲームで遊ぶことを自分で決めた」ということだ。

これは家族行事にも飛び火し、例えばキャンプに行くときも携帯ゲームを持ち込み、「キャンプを楽しむよりゲームを楽しむことを自分で決めた」し、プールで遊ぶときにも「プールを楽しむより、併設されたゲームセンターで遊ぶことを自分で決めた」から、肝心のイベント部分を覚えていないんじゃないか。

かわりに、そのゲームのことはありありと思い出せる。目をつぶれば画面が表示され、攻略法まで導きだせるほどに。「自分で決めたこと」がゲームに偏っていたから、思い出も極端なほどゲームについてしか残っていない。

こう考えると、私に思い出が少ないことについて、大半の部分が解決する。思い出が偏りすぎているということなんだろうな。

自分で決めた人生をゆく

大した根拠もない仮説にすぎませんが、今の自分が持つ思い出や記憶の大半が「自分で決めたこと」であるという事実がある。特に、覚悟を決めて決断したことは、古い記憶でもありありと思い出すことができる。そのことから、人間は「自分で決めたこと」しか記憶には残らないんだ、と結論づけた。そう思うことで、思い出が少なくて悲しく感じてしまう自分が救われるからかもしれないが。

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