カテゴリー: 違和感を言葉にするPage 1 of 2

いい加減なアドバイスをするくらいなら、口をつぐんでいた方がマシ

まだ何も行動していないのにアドバイスしてほしがる人って、責任の所在を自分に置きたくないから相手に委ねたいのかもしれない。つまり「失敗の責任はアドバイスしてくれた人にある」としたい。そうすれば自分は楽だから。「アドバイス通りにやったのに失敗したじゃないか、どうしてくれるんだ!」って言えちゃいもする。

言葉を吟味するということ

言葉は、口に出したり、文字として書き出した瞬間から強い力を持つ。良くも悪くも、人は言葉に縛られる。だから、たいして思い入れもない言葉を軽々しく表に出すことは避けた方がいいと思っている。そうした薄っぺらい言葉を表に出せば出すほど、発した人の価値を下げていくのではないだろうか。

「何でもいいから話せ」という暴力

発した言葉は自分を縛る。ひとつひとつの言葉に責任を持ちたいと思うなら、頭のなかにいるもうひとりの自分に問い合わせ、「よし!言ってOK」と決断されない限り、なかなか言葉として発することはできないものなんじゃないか。

「職業に貴賎なし」を疑う

「職業に貴賎なし」を信じるかどうかはその人の価値観なので、正直どうでもいい。ただ、この言葉が本当かを問うのは不毛だと思う。「二兎追う者は一兎をも得ず」が真実か問うても意味がないのと同じ。「一石二鳥」の価値観を持っている人とは、折り合えない確率が高い。

キャリアの選択に、間違いなどない。

「正しい選択」なんてものは存在しないし、あるとしたら「正しかった選択」でしかない。あとでふり返ってみて、「自分の選択は正しかったんだな」とか「もうひとつの方を選んでいたら違ったかな」と考えることはあるかもしれないが、その都度しっかりと考えて自分で選んだ選択に、間違いなんてものはないと言い切れる。

仕事に誇りをもつと、見えなくなるものがある

職業に貴賎はない。こんなものは嘘っぱちだと誰もがわかっている。さらにいうなら、人間にも貴賎はある。この放送で彼らに忌避感を抱いたのは、職業に貴賎があるからなのか、それとも人間に貴賎があるからなのか、それが今でもわからない。ただ一つ言えるのは、誇りがあろうとこんな仕事は必要ないということだけだった。

「将来の夢は新郎」という男の子はいない

ブライダル業者がもちかける「一生一度の晴れ舞台ですから」という売り文句に、流されるがままにオプションをホイホイつけていくことで愛情深さが測れるのであれば、そんな愛などいらない。

「好き」の知識競争は不毛だ。

「読書が好き」だからといって月に5冊しか読んでいないことをバカにされる筋合いはないし、メジャーな作家しか好きじゃなくても、それをとやかく言われたくない。評論家や批評家なら話は変わってくるのかもしれないが、何でもかんでも勝負に持ち込まないでもらいたい。ただ「好き」なだけでいいじゃないか。

ワクワク至上主義の圧力

「ワクワクする」「楽しい」「面白い」といった基準で行われる意思決定は、それに合致する人で構成された組織の場合のみ、正常に機能する。耳心地の良い言葉だけに違和感なく受け入れてしまいそうになるが、あなたの感情はあなただけのものだ。だれにも代弁させてはいけない。

「成長」というマジックワード

生まれてこのかた、こんなにも成長を求められたことはなかった。学生時代でさえ、盛んに成長を謳う教師はいなかったし、日常のなかで成長を意識することもなかった。それだけに、こうも繁殖する「成長」という言葉に違和感を抱かずにはいられない。 成長って、そもそも大人になった人間に使うような言葉なんだっけ?

禁忌であろうと、知的好奇心を抑えるな

「共感できないなんておかしい!」「感情移入できないからおもしろくない!」……そういったユーザーの感想を熱心に取り入れ続けた結果、「無難」で「わかりやすい」作品ができあがる。これほどつまらないものはなんて、他にないと思う。

どうすれば「反省した」といえるのか

反省のメカニズムは「先に後悔、次が反省」。反省の言葉がすぐに出てきたとしても、それは本当に反省しているからではなく、罪を犯してしまったことを後悔しているからだと考える方が自然だ。