カテゴリー: スキゾイド

人には興味あるんだよ。でも、人間“関係”にはぜんぜん興味ないんだ。

自分は人間「関係」に興味がない。それは長きにわたって付き合いのある友だちがひとりもいないことが証明している。それぞれの折に、付き合いのある友人らしき人はいた。しかし、学年・学校を跨ぐ、会社を変える、サービスを辞める、といった節目で必ず関係は途絶える。

「何でもいいから話せ」という暴力

発した言葉は自分を縛る。ひとつひとつの言葉に責任を持ちたいと思うなら、頭のなかにいるもうひとりの自分に問い合わせ、「よし!言ってOK」と決断されない限り、なかなか言葉として発することはできないものなんじゃないか。

望まぬアドバイスの罪

情報過多で選ぶことに疲れた人たちにとって、レコメンドやキュレーションといった、ある種のおせっかいなアドバイスはありがたいものなのかもしれない。しかし、ことスキゾイド的気質の人においては、「余計なお世話」に成り下がる。

ワクワク至上主義の圧力

「ワクワクする」「楽しい」「面白い」といった基準で行われる意思決定は、それに合致する人で構成された組織の場合のみ、正常に機能する。耳心地の良い言葉だけに違和感なく受け入れてしまいそうになるが、あなたの感情はあなただけのものだ。だれにも代弁させてはいけない。

「成長」というマジックワード

生まれてこのかた、こんなにも成長を求められたことはなかった。学生時代でさえ、盛んに成長を謳う教師はいなかったし、日常のなかで成長を意識することもなかった。それだけに、こうも繁殖する「成長」という言葉に違和感を抱かずにはいられない。 成長って、そもそも大人になった人間に使うような言葉なんだっけ?