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運動は好きだけどスポーツは嫌いだ、“スポハラ”はやめてくれ。

なんでもハラスメントという言葉をつけて排除しようとするのは気持ち悪いと思うが、「スポーツハラスメント」は大罪だと思っている。スポーツするもの/ことが神聖視されがちなこの国だからこそ、なおのこと自分はうるさく声を出す。なにせ、この状況下で来年オリンピックをやろうという国なのだから。

「今日は本を読みたいから無理です」と誘いを断る勇気

本なんていつでも読めると思っている人は、実際のところ、本当に「いつでも」本を読めているんだろうか。賭けてもいいけど、絶対読めてない。というか、読んでない。

思い出が少ないのは、「自分で決めたこと」が少なかったから

今の自分が持つ思い出や記憶の大半が「自分で決めたこと」であるという事実がある。特に、覚悟を決めて決断したことは、古い記憶でもありありと思い出すことができる。そのことから、人間は「自分で決めたこと」しか記憶には残らないんだ、と結論づけた。

電車で見かける真っ白なブックカバーの正体

何かを隠すというのは、「人前では隠さなければならないものなんですよ」とアピールしているのと同じこと。カバーを裏返してまで本を読んでいる光景は、一種の羞恥プレイなのかなとすら考えてしまう。「恥ずかしい本を読んでいる私をもっと見て!」といったように。

小春のアコーディオンのように、ひとりで完結させられるものを

スキゾイド的性質を持つ人は、内面的充実で幸福を感じられる生き物だ。だから、内面的充実が計れるものを持っているなら、人間関係なんて持たなくても大丈夫。ただし、なにものにも侵入を許してはいけない。小春からアコーディオンを取り上げてはいけないように、我々の内面的充実を取り上げるような人間と関わってはいけない。

「寂しい」という感情が、自分には無い。

自分に寂しいという感覚はないが、「人はどういうときに寂しいと思うのか」については、これまでに読んだ本と、つきあってきた人との経験で何となくわかっているつもりだ。だから人が寂しいと思わないように振る舞うことはできる。しかし、自分も寂しいからという感情による行動ではない。極めて理性的な判断によって行っている。

クレジットカードをつくれるか聞いてくるような会社に入ってはいけない

提案するたび「お前に責任が取れるのか?」と凄んでくる上司がいる会社は、ブラック企業と断定していいと思う。そんな上司には「いや、責任取るのはお前だから。お前は責任を取るために存在してるんだよ」って言ってやりたい。会社側はもちろん面接をしているが、面接にくる人も会社を見定めていると分かっていないのだろうか。

人には興味あるんだよ。でも、人間“関係”にはぜんぜん興味ないんだ。

自分は人間「関係」に興味がない。それは長きにわたって付き合いのある友だちがひとりもいないことが証明している。それぞれの折に、付き合いのある友人らしき人はいた。しかし、学年・学校を跨ぐ、会社を変える、サービスを辞める、といった節目で必ず関係は途絶える。

「他者次第」の夢なんていらない

他者次第の夢は、叶ったのが自分の努力のおかげだったとは言いきれないし、叶わなかった原因が自分の努力不足とは限らない。面接と一緒で、お祈りメールをもらっても「何が悪かったのか」「何が原因だったのか」はハッキリしない。だから、つかみどころがないし、報われもしない。

同じ悩むなら具体的に悩む。

「悩み」というネガティブな要素を自分の中に溜めておくと、それはいずれ毒になって精神を蝕みはじめる。しかし「目標」や「解決すべき課題」というポジティブなものに変えることで、極端な話、「悩み」などというよくわからない感情を抱くことはなくなると思っている。

その価値観は許されている。正しいんじゃない、ただ許されているだけだ。

「確固たる自分」が考えたことは、正しいのではなく、そういった考え方が許されているだけ。そう考えれば、相容れない意見と折り合いをつけられる。

幸福とは「選択」の問題である。

幸運とは実は、コイントスで偶然勝つかどうかというような「確率」の問題ではなく、「選択」の問題だ。可能性を信じる楽観的な態度で状況にアプローチし、出くわしたチャンスを生かすという姿勢を、あなた自身が積極的に選択するかどうか、ということなのだ。