月: 2020年12月

コロナ禍で読んだ112冊の本

私がコロナ禍で読んだ本にどれほどの価値があるのか分からないけれど、備忘録として、またこの忌まわしい2020年という年を忘れないためにも、リスト化しておこうと思う。一応、簡易的に評価もつけておく。印象的な本も数多くあるので、ふと思い立った折に書評を書くかもしれない。

「本」もいいけど、たまには「紙」の話をしよう。

出版社がどれだけ熱い思いで本を造っているのはか松田奈緒子の「重版出来!」を読めばわかる。書店がどれだけ熱い思いで本を売っているのかは久世番子の「暴れん坊本屋さん」を読めばわかる。そして、製紙会社がどれだけ熱い思いで紙を造っているかは「紙つなげ!」を読めば、きっとわかる。

運動は好きだけどスポーツは嫌いだ、“スポハラ”はやめてくれ。

なんでもハラスメントという言葉をつけて排除しようとするのは気持ち悪いと思うが、「スポーツハラスメント」は大罪だと思っている。スポーツするもの/ことが神聖視されがちなこの国だからこそ、なおのこと自分はうるさく声を出す。なにせ、この状況下で来年オリンピックをやろうという国なのだから。

「今日は本を読みたいから無理です」と誘いを断る勇気

本なんていつでも読めると思っている人は、実際のところ、本当に「いつでも」本を読めているんだろうか。賭けてもいいけど、絶対読めてない。というか、読んでない。

思い出が少ないのは、「自分で決めたこと」が少なかったから

今の自分が持つ思い出や記憶の大半が「自分で決めたこと」であるという事実がある。特に、覚悟を決めて決断したことは、古い記憶でもありありと思い出すことができる。そのことから、人間は「自分で決めたこと」しか記憶には残らないんだ、と結論づけた。

電車で見かける真っ白なブックカバーの正体

何かを隠すというのは、「人前では隠さなければならないものなんですよ」とアピールしているのと同じこと。カバーを裏返してまで本を読んでいる光景は、一種の羞恥プレイなのかなとすら考えてしまう。「恥ずかしい本を読んでいる私をもっと見て!」といったように。