クレジットカードをつくれるか聞いてくるような会社に入ってはいけない

提案するたび「お前に責任が取れるのか?」と凄んでくる上司がいる会社は、ブラック企業と断定していいと思う。そんな上司には「いや、責任取るのはお前だから。お前は責任を取るために存在してるんだよ」って言ってやりたい。会社側はもちろん面接をしているが、面接にくる人も会社を見定めていると分かっていないのだろうか。

人には興味あるんだよ。でも、人間“関係”にはぜんぜん興味ないんだ。

自分は人間「関係」に興味がない。それは長きにわたって付き合いのある友だちがひとりもいないことが証明している。それぞれの折に、付き合いのある友人らしき人はいた。しかし、学年・学校を跨ぐ、会社を変える、サービスを辞める、といった節目で必ず関係は途絶える。

「他者次第」の夢なんていらない

他者次第の夢は、叶ったのが自分の努力のおかげだったとは言いきれないし、叶わなかった原因が自分の努力不足とは限らない。面接と一緒で、お祈りメールをもらっても「何が悪かったのか」「何が原因だったのか」はハッキリしない。だから、つかみどころがないし、報われもしない。

同じ悩むなら具体的に悩む。

「悩み」というネガティブな要素を自分の中に溜めておくと、それはいずれ毒になって精神を蝕みはじめる。しかし「目標」や「解決すべき課題」というポジティブなものに変えることで、極端な話、「悩み」などというよくわからない感情を抱くことはなくなると思っている。

いい加減なアドバイスをするくらいなら、口をつぐんでいた方がマシ

まだ何も行動していないのにアドバイスしてほしがる人って、責任の所在を自分に置きたくないから相手に委ねたいのかもしれない。つまり「失敗の責任はアドバイスしてくれた人にある」としたい。そうすれば自分は楽だから。「アドバイス通りにやったのに失敗したじゃないか、どうしてくれるんだ!」って言えちゃいもする。

その価値観は許されている。正しいんじゃない、ただ許されているだけだ。

「確固たる自分」が考えたことは、正しいのではなく、そういった考え方が許されているだけ。そう考えれば、相容れない意見と折り合いをつけられる。

言葉を吟味するということ

言葉は、口に出したり、文字として書き出した瞬間から強い力を持つ。良くも悪くも、人は言葉に縛られる。だから、たいして思い入れもない言葉を軽々しく表に出すことは避けた方がいいと思っている。そうした薄っぺらい言葉を表に出せば出すほど、発した人の価値を下げていくのではないだろうか。

幸福とは「選択」の問題である。

幸運とは実は、コイントスで偶然勝つかどうかというような「確率」の問題ではなく、「選択」の問題だ。可能性を信じる楽観的な態度で状況にアプローチし、出くわしたチャンスを生かすという姿勢を、あなた自身が積極的に選択するかどうか、ということなのだ。

誰かを深く信じこみそうになったら思い出したい3つのこと

怖いのは、ひとりの人をあがめ奉ってしまうこと。その人との関係性を守りたいがために自分を殺して変化を拒むこと。ロールモデルがひとりしかいない人にありがちだけど、簡単に誰かを「信仰」してしまわないよう、注意した方がいいと思う。

「何でもいいから話せ」という暴力

発した言葉は自分を縛る。ひとつひとつの言葉に責任を持ちたいと思うなら、頭のなかにいるもうひとりの自分に問い合わせ、「よし!言ってOK」と決断されない限り、なかなか言葉として発することはできないものなんじゃないか。

「職業に貴賎なし」を疑う

「職業に貴賎なし」を信じるかどうかはその人の価値観なので、正直どうでもいい。ただ、この言葉が本当かを問うのは不毛だと思う。「二兎追う者は一兎をも得ず」が真実か問うても意味がないのと同じ。「一石二鳥」の価値観を持っている人とは、折り合えない確率が高い。

望まぬアドバイスの罪

情報過多で選ぶことに疲れた人たちにとって、レコメンドやキュレーションといった、ある種のおせっかいなアドバイスはありがたいものなのかもしれない。しかし、ことスキゾイド的気質の人においては、「余計なお世話」に成り下がる。