賛否両論あることが、なぜニュースになるのか

さんぴ‐りょうろん〔‐リヤウロン〕【賛否両論】

そのことについて、賛成と反対の両方の意見があること。特に、賛成論と反対論とで優劣のつかない状態についていう。
出典|小学館 デジタル大辞泉

Google検索で「賛否両論」と検索し、ニュースのタブを開いてみてください。タイトルに「賛否両論」とついた記事が、毎日のようにリリースされていることがすぐに分かるでしょう。

言葉の意味は、先に挙げたとおり。誰しもが賛成もしくは反対するようなことって、この世にはほとんどないと思います。であれば、大抵は賛否両論となるはず。つまり、賛否両論あることは、自然で、とても健全な状態であるとは言えないでしょうか。

ところが、先ほどの検索結果を見ていただくと分かるとおり、まるで「賛否両論あることは良くないことである」かのように見せる記事が目につくんです。

※念のために言っておきますが、「賛否両論あることは良くないこと」と打ち出しているように見えているのは、筆者の主観によるものです。

実際の記事に目を通すと、報道系のメディアは賛否に分かれたそれぞれの意見の紹介に終わり、それ以外のメディアでは「○○や××など、さまざまな意見があるようです。あなたはどう思いますか?」で締めていることが多いように見受けられます。

報道は事実のみを報じるべきですので、そのような事実があったのなら、主観を交えず報じることに問題はありません。賞賛と同じくらい批判があるのも健全だと思います。ただ、なぜそれを問題があるように報じるのか?そこが解せません。

ひとつ思い当たるのが、「すべての物事は、誰もが賞賛するようなものでなければならない」という思い込みが関係しているのではないか、ということ。ひとりでも批判する人がいたら、それは悪い(良くない)ことである。どこかに問題があるはずだ。そうした思いが根底にあると、賛否両論あること自体が問題であるように感じられるのではないでしょうか。

タイトルに【賛否両論!?】などと書かれた記事は、手軽に摂取できる言葉のサプリメントのよう。ダイレクトに感情を揺さぶろうとする【感涙】【爆笑】みたいな言葉と、私には同じように思えます。とても簡単に溜飲を下げることができるこういった言葉には、その場しのぎの効果しかありません。

サプリメントだけで健康にはなれませんし、サプリメント的な言葉だけ摂取していると、やがて他者の意見(主に、多数派の)の傀儡となってしまいます。こういった、何か言っているようで何も言っていない、安っぽい言葉に感情を揺さぶられないように。

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