【9月11日のコトバ】個人の状況をふまえずに相対化した幸福にはなんの意味もない。

コトバでお腹をふくらませることはできませんが、生きることをほんの少しだけ楽にしてくれます。そんな心の糧となったコトバを、これから毎日ひとつずつ、書いていこうと思います。

人はパンのみにて生くるものに非ず。誰かの拠り所となるコトバとなれば。

『ナラタージュ』島本理生より

「死んでしまうくらい嫌なことなんて、簡単にほうり出してしまってかまわないんだ。君よりも苦労してがんばっている人がいるんだから君もがんばれ、なんて言葉は無意味で、個人の状況をふまえずに相対化した幸福にはなんの意味もない。誰だって本当は自分の好きなことや明確な人生の目標に対してしか、苦しんだり努力したりはできないものだから。君が本当に今の場所から離れたいと思ったとき、僕はそれを逃げているとは思わないよ」

個人の状況をふまえずに相対化した幸福にはなんの意味もない。

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今日からはじめたこの試み、最初に選んだのは、私がもっとも心の拠り所としているコトバです。

現在はどうかわかりませんが、家庭でも学校でも社会でも、「逃げる」という行為はあまり望ましいものではないとされてきたと思います。困難に立ち向かってこそ人間は成長するというのはひとつの真実であれ、それが全てではないでしょう。

世界は決して平等ではないし、平均化できるものでもありません。誰にとっても正解であることなど、ありはしませんから。

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「みんな頑張っているのにお前は逃げるのか?」
「簡単に逃げるなんて世間が認めないぞ」
「空気読めよ、バカ」

「みんな」「世間」「空気」…そんな実態のないものに、こと日本人は縛られがちですが、上のコトバどおり、個人の状況をふまえずに相対化した幸福にはなんの意味もありません。

自分と向き合い、それでもここは自分の居場所ではないと感じたとき、逃げることは決して忌避されるようなものではないでしょう。

20代なかばの、本当に苦しかった時期。このコトバがなければ死んでいたかもしれません。ありもしない「みんな」「世間」「空気」に悩まされたときは、このコトバを思い出すようにしています。

近々映画化されるそうですが、このコトバがとても大事なシーンできちんと使われていることを願いつつ…。

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