幸せの基準を「他人の評価」に求めてはいけない、という話

下はかれこれ3年前に投稿されたツイートなのですが、久しぶりに目にし、思うところがあったのでご紹介します。

燃え殻さんという方のこのツイート内容。誰しも同じような思いにかられたことがあるんじゃないでしょうか。

幸せの基準を「他人の評価」に求めてはいけない

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こういったレビューやコメントを参考に、買うものや食事、旅行先を決めたりするのは当たり前になっていますよね。私はいつのころか、こういったレビューを一切見ないようになりました。理由は燃え殻さんと同じで、「基準を外に託すと誰かに聞かないと幸せかどうかわからない化け物になってしまう」から。

例えばAmazonで、高評価を参考に商品を購入した場合。実際にすばらしいものでも、逆に憤慨するほど酷い出来のものでも、思いが向かうのは参考にした評価者です。主観による意思決定で得たものではないですから、結局誰かが良いと言っていたから買う、誰かが批判しているから買わないという、極端な判断しかできない人間になってしまうように思います。

燃え殻さんが言うところの「化け物」がこれなんでしょうね。

自分の中に判断軸がない人間は、無価値

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昨日Facebookのタイムラインを消したという投稿をこのブログにしましたが、いろいろなことをやめていく中で、「他人の評価を参考にする」のもやめました。直感にしろ論理にしろ、自分が本当に良いと思ったものを買うし、観るし、聴きます。もちろん「こりゃダメだ…」とがっかりすることも多いですが、少なくとも他人(参考にした評価者)を批判することはなくなります。自分の判断が原因なわけですから。

だから、食べログに代表される口コミやレビューで成り立つWebサービスはまったく使いません。よく「食べログで点数が高い店だから」という理由で行く店を選ぶ人に出会いますが、自分の中に判断軸が無いんだなぁと思ってしまいますね。他人の、特に匿名の口コミやレビューなんて無価値じゃないでしょうか。

もっと主観的でいた方が、きっと生きるのは楽になりますよ。

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