口汚いだけの人と毒舌家は違う。汚いだけの言葉遣いに存在価値はない。

口汚いだけの人と毒舌家は違う。汚いだけの言葉遣いに存在価値はない。

スポンサーリンク
スポンサードリンク

「俺、口が悪いから」なんていうのは言い訳に過ぎない

親の教育の賜物なのかそれとも接客業で磨いた腕前なのか、私はよく礼儀がなっていると言われます。もちろん意識して礼儀をわきまえた行動を取ろうと思いながらやっていますが、それだけに言葉遣いの汚い人や、やたら偉そうや振る舞いを取る人が目につきます。

私が思うに、「俺、口が悪いから」なんていうのは言い訳に過ぎません。本当に相手のことを考えているのなら丁寧な言葉を使おうと意識はするでしょうし、人を不快な気持にしたくないと強く思っていれば汚い言葉は出てこないでしょう。

こうした口汚い人は、得てして自分を「毒舌家」だと思い込んでいるフシがあります。毒舌とはそんなに軽いものではありません。ただ毒をまき散らしているだけなら毒舌家が世に求められることなどあり得ず、その毒の中に何かしらの薬が含まれているから彼らは必要とされるのでしょう。

口汚いだけの人は、ただの毒です。まき散らした毒は周りの人を蝕み、不快な人間関係を構築する迷惑な存在でしかありません。

口汚さがその人の話の正しさを補完することなどあり得ない

最近こちらの記事を読みました。

「口汚い」ということは、ただそれだけで説得力を下げると、私は思っているんだけど。
ただ口汚いだけのテキストを、「毒舌」というラベルで救済するのはそろそろやめにしようよ

この記事を執筆された不倒城さんは主にテキストでの口汚さについて書かれていますが、これは話し言葉でも同じじゃないかなと私は思っています。『毒舌』という言葉が世間に認知され、ある程度の価値を有している現在、これまで口汚い言葉使いをしていた人たちは免罪符を得たと思っているのかもしれませんね。

不倒城さんがおっしゃるように、口汚さがその人の話の正しさを補完することなどあり得ません。むしろ信憑性を著しく失わせる効果しか持ち合わせていません。しかし本人は毒舌のつもりであり、それがひとつの持ち味だと思っているんですよね。本当に残念な人たちです。

言葉を聞かされた人が何かしらの薬効成分を感じることができないなら、それはただの汚い言葉。口汚さを自覚している人は、そのことを自覚したほうがいいと心底思います。日増しに自分の信頼を失いますよ。


スポンサーリンク
スポンサードリンク
スポンサーリンク
スポンサードリンク