アメリングとアイエツ、あるいはシラーニ。人を狂気に駆り立てる絵画の魅力

人を狂気に駆り立てる絵画の魅力

スポンサーリンク
スポンサードリンク

私を魅了した3つの絵画

以前当ブログにて、以下の書評を書きました。
中村文則『去年の冬、きみと別れ』 芸術に魅入られ、芸術を求め、人は芸術に狂う。

これは芸術に魅入られた人間の破滅および浄化を描いた物語だったのですが、この本を読み終えて、ふと3つの絵画のことを思い出しました。

フリードリヒ・フォン・アメリング『夢に浸って』

フリードリヒ・フォン・アメリング『夢に浸って』

フランチェスコ・アイエツ『復讐の誓い』

フランチェスコ・アイエツ『復讐の誓い』

▽※上記の2つについては、以前に私が執筆した記事があるのでご参考までに。
国立新美術館で「リヒテンシュタイン 華麗なる公爵家の秘宝展」を鑑賞してきました。

グイド・レーニ(もしくはエリザベッタ・シラーニ)『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』

グイド・レーニ(もしくはエリザベッタ・シラーニ)の『ベアトリーチェ・チェンチの肖像』

私は優れた芸術は人を操ることができると思っている性質の人間で、冒頭に挙げた記事で紹介している芥川龍之介の「地獄変」という物語に、言いようのない恐怖と羨望の想いを抱いています。

簡単にあらすじを説明しておきましょう。

平安時代に天下一の絵仏師として名を馳せた良秀は、大殿から地獄変の屏風絵を描くように命じられます。「実際に見たものしか描けない」良秀は、弟子を鎖で縛り上げたり梟につつかせるなど狂人さながらの行動を取りながら8割がた仕上げますが、燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿をどうしても描けなかった。どうしても実際に車の中で焼け死ぬ女の姿を見たいと大殿に訴えます。

承諾した大殿が連れてきたのは、車に閉じ込められた良秀の娘。それを見ても嘆くことも怒ることもしなかった良秀は、只々ことの成り行きを見守るのみ。やがて火がかけられ、豪華な衣装を身にまとい縛り上げられた娘は身悶えしながら焼かれていきます。それを厳かな表情で眺める良秀の姿に、火刑を命じた大殿すら圧倒されました。見事に仕上げた地獄変の屏風絵は、誰もが賞賛する出来栄えでしたが、絵を献上した数日後に良秀は縊死し、物語は幕を閉じます。

芸術家の魂と自分の心が化学反応を起こしたとき、人は芸術に狂う

なんとも恐ろしい物語ですが、今も残る絵画芸術にはそんな恐ろしさが練り込まれているものが少なくありません。中野京子さんの『怖い絵』という本を読めばそれがよくわかるでしょう。オススメです。

ただの絵と言われてしまえばそこまでですが、いわゆる芸術には人を感性を揺さぶる機能が備わっていると思うんです。しかも、必ずしもいい効果ばかりをもたらすのではなく、中には人を狂わせるようなものが存在するのです。

上で紹介した3つの絵画は、私の感性を大いに揺さぶった張本人です。今のところ悪い効果は現れていないようですが、私はこの絵画のためなら(もしくは絵画に命令されたと思ったら)、人を殺めることすらためらわないんじゃないかと思っているくらいです。実際、美術館でこの絵画の実物を目の当たりにしたとき、しばらく動くことができませんでした。特に『夢に浸って』は、何時間でも眺め続けることができる自信があります。おそらく焼け焦がれるような恋をしていたのでしょうね。

芸術には、つくった芸術家の魂が込められています。その魂と自分の心が化学反応を起こしたとき、人は芸術に狂うのかもしれません。それでも人は芸術に惹かれていくのを止められません。例えそれが破滅へと向かう道のりでも・・・。


スポンサーリンク
スポンサードリンク
スポンサーリンク
スポンサードリンク