『自分が生まれた国の文化が世界標準で、それ以外の文化は間違ったこと』と断定してはいけない

『自分が生まれた国の文化が世界標準で、それ以外の文化は間違ったこと』と断定してはいけない

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世界と日本を同列に扱っている濃厚なコンテンツの『クーリエ・ジャポン』

私が定期的に読んでいる雑誌は、テクノロジー系の『WIRED』と、世界と日本を同列に扱っている濃厚なコンテンツの『クーリエ・ジャポン』のみになってしまいました。以前はBRUTUSやPENも読んでいたのですが、クドいほどのハイブランド広告に辟易してしまった感があります。紙の雑誌は今後どうなっていくのでしょうね…。

といっても今回の記事でそこを深堀りしたいわけではなく、クーリエ・ジャポンの編集部ブログに興味深い内容の記事があったので取り上げてみようと思った次第です。

▽その記事がこちらです

「年の差婚」「身分の違いによる圧力をかけての結婚」「重婚」

昨今、日本の芸能界を中心に「年の差婚」がたびたび話題を呼ぶようになりました。加藤茶&綾菜夫妻の45歳差を筆頭に、ラサール石井&桃圭、仲本工事&三代純歌、市村正親&篠原涼子など20歳前後の年の差婚はめずらしいものではなくなりましたね。

他人の結婚に全く興味のない私は、年の差がどれだけあろうと格差がどれだけあろうとどうでもいいし、結婚はどこまでも個人同士のものだと思っている(家は関係ない派)ので、なぜ物議を醸しているのかもよくわかっていません。究極のところ、遺産目当てでもいいんじゃないかとすら思っています。

『自分が生まれた国の文化が世界標準で、それ以外の文化は間違ったこと』と断定してはいけない

それはそれとして、クーリエの記事にあるのはチェチェン共和国で47歳の警察署長が17歳の少女と結婚したことについてです。それ自体は別にどうでもいいんですが、地元の有力者である警察署長と一般家庭の学生という身分・立場の違いは歴然としていますよね。結婚を迫ったのは警察署長という話ですから、なおのこと力の差を感じてしまいます。

さらにこの警察署長は妻帯者だということです。つまり、「年の差婚」「身分の違いによる圧力をかけての結婚」「重婚」という、おおよそ日本ではありえない(反感を買う、または不法な)結婚だったんですね。少女もイヤなら断ればいいのにと思ってしまうのは私が日本人だからで、花嫁が断らなかったのは「拒絶すれば花嫁の兄弟が殺される」からだとのこと。ちなみにチェチェンでは伝統的に一夫多妻制が認められています。

クーリエの記事によると、中央アジアとコーカサス地域には「誘拐婚」という風習が残っているそうです。男性が結婚したいと思う女性をさらってきて強制的に結婚させるというものです。現代の日本人の感覚からするとありえない風習に思えますが、ソ連時代は「民族の文化」として黙認していたんですね。

チェチェンはロシア連邦に属することになりましたが、ロシアの法律では未成年の結婚は違法ではないものの一夫多妻制を認めていません。チェチェンの首長はこのふたりの結婚を祝福しているとのことで、お互いの考え方が食い違っており、政治問題にまで発展しているようです。

『自分が生まれた国の文化が世界標準で、それ以外の文化は間違ったこと』と断定してはいけない

この記事を読んで、「けしからん!」と紛糾する人は少なくないだろうなと思います。おそらく「年の差」がどうのこうのよりも、「権威をチラつかせた強制的な結婚」や「妻帯者のクセに年端もいかない少女との結婚」に問題意識を感じるのでしょう。

とはいえ、漂白されたような清潔さを求める今の日本でも、ほんの100年ほど前には農村部を中心に「夜這い」の文化があったといいますし、今ではアダルトビデオでしか目にしない「筆下ろし」の文化もあったそうです。そもそも恋愛結婚が当然という風潮もまだ数十年程度ですし、結婚が家と家のものという考え方もまだまだ根強いですよね。

『自分が生まれた国の文化が世界標準で、それ以外の文化は間違ったこと』と断定してはいけない

今の日本を基準にすると、おかしな風習の国は世界中にたくさんあることになります。逆にそういった国からは、日本は変わった文化のある国だと思われているかもしれません。つまり、『自分が生まれた国の文化が世界標準で、それ以外の文化は間違ったこと』と断定してはいけないんですね。風習が文化として根付くために多大な年月を経ているでしょうし、そこには守るための誇りがあるかもしれません。

人権を侵害するような文化があってはならないと個人的には思っていますが、だからといってたやすく非難してはいけないと肝に銘じています。まずはそうなるに至った文化的背景を知る必要があるし、文化を否定することがその人(あるいは国単位)の存在を否定することにもつながりかねません。最大限尊重しなければならないことだと思います。

クーリエの記事では、最後にこうまとめられています。

守るべきは、政治的に属する国の法律なのか、地域の伝統文化なのか、それとも先進国が考える「人権」なのでしょうか。

答えのない問題ですが、考えることをやめてしまったら何も解決することはできません。風習や文化は時代によって移り変わっていくもの。何がこの時代に相応しいことなのか、考え続けなければならないのでしょうね。


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