『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

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寂しいという感情・・・よくわかりません

匿名記事に基本興味はありませんが、はてな匿名ダイアリーには時折ハッとさせられる記事があるのでたまに読むことがあります。

たまたまぶらついてところ見つけたこちらの記事に衝撃を受けました。

寂しいという感情がわからない

実にシンプルなタイトルのこの記事。あまりに感覚が筆者と似通っていて驚きました。これ、無意識のうちに自分で書いたのかなとすら一瞬疑ったくらいです(元記事の執筆者は既婚者なので、確実に未婚の筆者ではないのですが)。

元記事を引用しながらコメントを入れていこうと思いますが、けっこう衝撃的な内容なので、筆者に対して病院に行けとかおせっかいなアドバイスしたくなるような人は読まないでください。

私自身「寂しいという感情がよくわからない」人間だと自覚していますが、それで特に困ってもいませんし、治さないといけない類のものだは思っていませんので。

人の寂しさを理解しそれに応えることは、学べばできる

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

生まれつきわからないのか、育ち方の問題でわからなくなったのかは不明です。
進んで人付き合いをする方ではないけど、社会的に浮いてしまうような拒絶的なことはしません。
親族付き合い、仕事の付き合いは、必要十分の範囲でこなしてます。
私的交友は人数も頻度もかなり少ないです。ただ例えば10年会わずにいても、昨日会ったのとそんな変わらずに付き合えるような感じです。
静かな空間が好きで、引きこもり志向です。書斎で、本に囲まれて、ネットにつながったPCがあれば連続で何ヶ月でも過ごせると思います。
賑やかな空間は、昔はかなり苦手でしたが、今は長時間でも耐えられます。これは社会人になってからの訓練によるものです。
社会に適応する必要から、わかる人に話を合わせることや、わかる人のフリはできるようになってます。
必要なら、そういう人が寂しい思いをしないように、自発的に配慮をすることもできます。
これはある程度の訓練と経験を積み、類推力を利かせれば、それほど難しくはありません。
でも肝心の寂しいという気持ちは未だにサッパリわかりません。(原文ママ)

少し長いですが、元記事前半の部分をまるっと引用させていただきました(それ以上のコメントを残しますので、もちろん引用のルールには反しないようにしますよ)。

ちなみにこの前半部分、寸分違わず筆者も同じ考え方をしています。

基本的に人付き合いは苦手で、可能ならずっと家にひとりでいたいタイプの人間ですが、人と会わなければならないシチュエーションでコミュ症的な行動を取ることはありません。いわゆる社会常識はきちんと把握しており、わざわざ場の雰囲気を壊す真似をしようとも思いませんし、空気を読むのは非常に得意な方です。

地元は京都で東京に出てきて7年ほどですが、正直地元に、現在も続く関係の友だちはひとりもいません。学生時代は数人程度よく遊ぶ友だちがいましたが、就職するタイミングで関係が離れ、それ以後特に会うきっかけもなければ会おうとも思わず、結果的につながりは切れてしまったようなものです。そしてそれを寂しいとは思いません。

当時の友だちとはもう10年以上会っていないことになりますが、もし何らかのきっかけで会うことがあれば、まるで最近会ったかのように接することは可能ですし、そうするのにやぶさかではありません。自分からきっかけをつくろうとしないだけで、例えば同窓会の案内が来て時間と時期に余裕があり、地元に帰る用事と合わせられるのであれば行くかもしれません。といっても、別に当時の友だちに会いたいわけではなく、ただ都合が合ったからくらいの感覚です。

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

ちなみに学生時代に少ないながらも友だちはいたとはいえ、校内でひとりになってしまうことは多々ありました。しかしそれに寂しさを感じたことはありません。人によってはトラウマになるであろう「はい、ペアつくってー。」という先生からの指令でひとり余ってしまったとしても、特に何か感じたことはありません。

記憶のある小学生時代からそうで、中学→高校→大学→就職後のそれぞれの節目をこえて友だち関係が続いたこともほとんどありません。しかし不思議なことに、友だちをつくるのに苦労した記憶もありません。こういう性格の人間には、それに合った交友関係ができるものなのでしょうか。

また、外に出るのが億劫なほどではありませんが、家につくった小サイズの書斎に居られればそれで満足を得られ、本とインターネットにつながったパソコンがあればそれで構いません。物欲もないので、新刊を買うお金があれば大丈夫です。

自分に寂しいという感覚はありませんが、「どうなると人は寂しいと思うものか」については本からと付き合った人との経験で何となくわかっているつもりです。だから人が寂しいと思わないように振る舞うことはできますが、自分も寂しいからという感情による行動ではありません。極めて理性的な判断によって行なっています。

・・・

ここまでザッと述べてみましたが、本当に驚くほど元記事を書かれた方と経験がダブっています。私は別にこの性格について悩んでいるわけではありませんが、同じような人はいないんだろうなと思っていただけに衝撃でした。

執着することがないから、失っても寂しくはない

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

妻と二歳の娘がいます。
妻は寂しいという感覚がわかる人です。先述の訓練とか経験とかいうのは、妻の観察で勉強したものも多いです。
妻子はとてもかわいいので、望む限りのことをしてあげたいと思いますが、例えばもし単身赴任とかになり長期に会えなくなっても、自分としては別に大丈夫です。
人並みの経済状態で、健康に善良に暮らしているなら、それでいいと思います。
娘の情緒や教育の観点から、父親としての役割が果たせないなら困りますが、それは娘への影響の問題で、自分が寂しいからという話ではありません。
まあ適応して生きていけてるので困ってはいないのですが、この違いはなんなんでしょうね。
自分は養う家庭を持っているので、必要があって擬態してる分まだモチベーションは維持できますが、そういう理由がない人は、同調圧力が煩わしいでしょうね。独身時代の自分のように。
社会の側にもう少し理解があると生き易いのですが。
もっと差別的な扱いのマイノリティの方々がいると思うと、贅沢な話かもしれませんね。

続いて、元記事の後半部分を引用させていただきました。元記事の執筆者の方はご結婚されており、娘さんもいらっしゃるようです。私のようなタイプの人間が結婚するとどうなるものなのか気になっていたので、参考になること然りです。

私は未婚なのでここからは想像で語ることしかできませんが、この記事を読むまで「結婚したらこうなるだろうな」と思っていたことが元記事に書かれていたのでさらに衝撃を受けましたね。

例えば、妻子はかわいいけれど単身赴任しても自分は大丈夫というところ。私もそんな自信があります。単身赴任どころか1年に数回しか会えない状態だとしても特に問題を感じないと思います。妻子の生活が困窮するのであれば問題ですが、それと寂しさを感じるかは別問題です。

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

これまでに付き合ってきた彼女との関係にも、一度として寂しいという感覚を抱いたことはありません。当時私が未熟だったときは、相手に寂しいという感情を抱かせた結果別れることもありました。それでも別れることに寂しさを感じたことはありません。引きずることもありませんし、思いを馳せることもありません。今となっては名前を思い出すことすら困難な人もいます。

情が薄いのかなと思ったこともありますが、受けた恩には必ず報いようと思いますし、恨みは倍返しにするので、情はある方だと考えています。ただ、恩にしても仇にしても返したらそれで終わりになるので、元通りの関係にしたがるということなのかもしれませんね。

ただ、どうやら何事に関しても「極端なほど執着しない」という特性があるように思うところがあります。飽きっぽいのもあるのですが、究極の「来る者拒まず去る者追わず」なのかもしれません。モノにも執着しませんし、基本的に何にも愛着を抱きません。

自分でも少し変わったところがあるなとわかってはいるんですけどね。

寂しいって感情、必要ですか?

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

こんな人間がいるのかと恐れ慄く人がいるかもしれませんね。ひたすらこんな性格で32年ほど生きてきましたが、全くと言っていいほどこの性格で困ったことはありません。むしろ関わってきた人たちが頻繁に「寂しい」とつぶやいているのを聞くにつれ、この感情が自分にはなくてよかったなと思います。

実生活が破綻するほどこういった性格が災いしているのであれば別ですが、日常生活はもちろん社会生活を送るのに問題は生じていませんし、会社員だったときも現在のようにフリーランスとして働いていても、何の問題もなく生きてこられました。

年々感覚は研ぎ澄まされてきているので、相手の「寂しい」という感覚を理解することに苦痛はどんどんなくなっていくでしょう。寂しさで心を壊して病んでしまうくらいなら、こんな感情、無い方がマシではないですか?

『寂しい』という感情がよくわからない。そんな感情、必要ですか?

こういった性格の持ち主はシゾイドパーソナリティという人格障害と判断されることもあるそうですが、もしそうだとしても私は、特に普通であることを求めようとは思いませんね。

私は生きやすくて助かっています。世間からはそう見られませんが。

今回は特にオチのない記事です。こういった性格の人間もうまく世間と馴染みながら生きているんだよと理解してもらえたら、それで満足です。


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