教職は「聖職」であるという幻想 〜学校はブラック企業化している〜

学校はブラック企業化している

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教師は自分の子どもの入学式を優先してはいけないのか

※当記事は2014年4月13日に執筆した同名の記事を編集したものです。

この記事を読みました。

担任、息子の入学式へ…県立高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意 (埼玉新聞) – Yahoo!ニュース

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埼玉県西部のある県立高校で、50代の女性教諭が自身の長男が通う別の高校の入学式に出席するために、担任を務める1年生の入学式を欠席していたことが波紋を呼んでいる。記事によると、新入生の保護者は「教え子より息子の入学式が大切なのか」と憤慨しているようです。

脱社畜ブログでもこの記事について言及されており、私は全体的に同意見でした。ぜひそちらもお読みになってください。

なんというか、こんなことが問題になる事自体が問題だと強く思います。この女性教諭が突然休んで、実は息子の入学式に顔を出していましたとなるとまた話は違ってくるかと思いますが、記事によると事前に「入学式という大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびします」という旨の書面を作成して、別の教諭から生徒へ手渡されていた模様。来れない理由も校長先生が自ら入学式で説明していますし、会えなくて申し訳ない気持ちをこの女性教諭はきちんと持っておられます。決して担当する生徒のことをないがしろにしているようには思えません。

学校はブラック企業化している

しかも、記事を読む限り憤慨しているのは生徒の親や県教育長、県議だけで、肝心の生徒の声が聞こえてこない。去る11日に行なわれた県立高校校長会の場で、関根郁夫県教育長から「担任がいないことに気付いた新入生や保護者から心配、不安の声が上がった」と報告したとは書いてあるので、一応声は上がったのかもしれないですが(嘘であれば大問題)。脱社畜ブログでも言及されていますが、これに対して声を上げるのは本来生徒でしょう。外野がワーワー言っているだけのように見えますね。

教職は「聖職」であるという幻想

この話題についてはTwitterやFacebookでも様々なコメントが寄せられていますが、結構意見は別れているようです。問題だと思う方々はやはり「教師としての倫理観や責任感が欠如している」「教え子より息子の方が大事なんて、教師失格だ!」などと強い調子で否定されていますね。

わりと年配の方に多いと思うのですが、「現在の教職は昔のような聖職ではない」ということを知らないのでは。いや、もちろん志の高い教職者は友人にもいますし、人の道を教える素晴らしい仕事であることは理解しています。しかし、昔のように教師であれば周りや生徒が尊敬してくれるようなものではなくなっているのが現状です。

むしろモンスターペアレントの対応やサービス残業の部活顧問、教師の仕事は減ることはなくむしろ増える一方。かといって給料は据え置きのままですし、仕事柄プライベートでも人の目を気にしなければならず、娯楽すら注意しないといけない(例えばゲームセンターやクラブハウス、それこそ風俗店等には足を運びにくいでしょう)。

学校はブラック企業化している

教育が消費になりかけている今、教師になるメリットがどこにあるんでしょうか。志だけで教師を続けていくのがいかに難しいか、うつや精神疾患で休職する教師が後をたたない現状をみれば自ずとわかるでしょう。それでも教師になりたい人はいる。本当に素晴らしいことだと思います。そんな熱い志の教師を救うためにも、もはやブラック企業化している学校を変えないといけない。

家庭を大事にする教師がなぜ模範にならず、ましてや問題になるなんて、不思議でしょうがありません。教師だって人の子、人の親ですし、なんならしがない地方公務員に過ぎないということがわからないのでしょうか。この話で一番迷惑被っているのは、女性教諭ではないでしょうか。きちんと休む際の対応をして校長先生の理解も得ているのであれば、もうこの女性教諭は責められるべき立場の方ではないでしょう。県議や教育長の言いなりになっている校長先生にも責任はありそうですが、今後この事態がどう動いていくか注目したいと思います。もし女性教諭に何らかの処罰が下されるのなら、日本の教育に絶望してしまいそうです。

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