【ネタバレ】仰天の改変!前田敦子 × 松田翔太『イニシエーション・ラブ』に仕込まれたトリックに、小説版読者はまた騙される。

イニシエーション・ラブ

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映画化不可能と言われた叙述トリックをどう再現するのか?

※注意!本記事では映画版・小説版『イニシエーション・ラブ』のネタバレ要素が多分に含まれています。未見・未読の方はご理解の上でお読み下さい。

待ちに待った映画『イニシエーション・ラブ』が遂に昨日公開されました。5月24日時点で当ブログのアクセス1位は、以前に書いた小説版「イニシエーション・ラブ」(+映画についても少し)であることからもわかるとおり、非常に話題を呼んでいる映画です。

それで、いったい何が話題なのか?

原作小説は前編後編(表記はA-side、B-side)に分かれたふたつの恋物語が描かれており、ひとつは甘すぎて胸焼けしそうなベタベタな展開、もうひとつは胸が張り裂けそうなベタベタな展開が繰り広げられます。どっちにしろベタベタな物語で、正直いわゆる恋物語系の小説としては特筆すべきところはありません。

が、衝撃なのは最後の2行。それまで何となく違和感を感じながら読み進めてきた人は、この2行で物語が反転し唖然とするはず。そう、練りに練った叙述トリック(文章術で騙くらかす)が各所に入念に仕込まれており、最後の2行でその伏線が一気に回収されるような展開なのです。この衝撃は忘れられそうにありません。

イニシエーション・ラブ

今回の映画化にあたり物議を醸したのが、その叙述トリックをどう映像化するのかということ。

小説版では、前後両編に登場する「たっくん」が実は別人であったことがわかり衝撃を受けるのが最後の2行でした。これは「たっくん」と呼ばれるふたりの人物が同一人物だと思い込まされることで成り立つ叙述トリックなわけですが、当然映像にしてしまうと顔が違うことにより一瞬でバレてしまいます。

ひとりの役者が二役すればごまかせるかと思いきや、物語中にそっくりさんに恋をしたなどという描写はありませんし、何より通過儀礼(イニシエーション)としての恋を終わらせるためにした新たな恋の相手がそっくりさんだなんてオチは、せっかくの原作が台無しです。

さて、それでは映画版はどんな仕上がりになっていたのでしょうか?
まずはあらすじからご紹介していきます。

■筆者による小説版『イニシエーション・ラブ』の書評はこちら↓
第3回 乾くるみ『イニシエーション・ラブ』 逸品の恋愛物語と極上のミステリーは、同居させることができる
松田翔太✕前田敦子で映画化される『イニシエーション・ラブ』原作小説と映画版ではトリックが違う!?

映画版『イニシエーション・ラブ』のあらすじ

A-side

イニシエーション・ラブ

1980年代後半、バブル最盛期の静岡。就職活動中の大学生・鈴木は友人に誘われ気乗りしないまま合コンに参加。しかし、その席で、歯科助手のマユと運命的な出会いを果たす。

奥手で恋愛経験がなかった鈴木が、マユと出会って変わっていく。流行りのヘアスタイル、オシャレな洋服、マユに釣り合う男性になろうと自分を磨く鈴木だったが・・・。

B-side

イニシエーション・ラブ

二人だけの甘い時間も束の間、就職した鈴木は東京本社へ転勤となり、静岡にマユを置いて上京することに。それでも距離は二人の愛にとって障害にならないと、週末ごとに東京と静岡を行き来する鈴木。

しかし、東京本社の同僚・美弥子との出会いを経て、心が揺れ始める・・・。

映像ならではの手法で再現したトリックの妙

ここからは映画版「イニシエーション・ラブ」について、全力でネタバレしていきます。言いましたからね?「まだ観てないのに!」とか言われても知りませんから!

小説では“A-side → B-side”の順で物語は進みましたが、映画でもそれは変わっていません。しかし映画が始まってすぐ、登場した大学生の「たっくん」の姿に驚きました。これまで散々CMや番宣で「主演・松田翔太」が謳われていたというのに、その「たっくん」を演じているのは似ても似つかぬ小太りの非モテ男(失礼)。後述しますが、この役者さんは森田甘路という方です。

合コンに駆り出されたぽっちゃり系男子の「たっくん」こと鈴木夕樹(森田甘路)は、そこで出会った歯科助手のマユと運命的な出会いを果たし、そのまま交際に発展。初めて恋人と迎えるクリスマスに幸せいっぱいのたっくん。マユにそれとなく言われた「ぽっちゃり」というワードに感化され、愛するマユのために痩せることを決意。プレゼントに貰った靴を履いてランニングに勤しむたっくんが映し出されたかと思うと、そのまま映像は同じ靴を履いてランニングしている松田翔太に切り替わります。そう、ここからがB-sideの始まりです。

イニシエーション・ラブ

疑うことなくストーリーを追うなら、マユのためにダイエットに成功したたっくん(松田翔太)はイケメンに生まれ変わったとなるでしょう。たっくんは大学を卒業し就職した静岡の会社から、東京にある本社への異動(3年)を命じられます。遠距離恋愛となったたっくんとマユですがその愛は変わらず、たっくんが週末に車で静岡へ行ってマユに会うことで、その愛情を示していました。しかし毎週末の帰還はたっくんの心も体も財布をも少しづつ蝕み、次第に同期入社の美弥子(木村文乃)に心奪われるようになります。途中マユの妊娠・堕胎を挟み、もはや終わっているカップルとなっていたふたりは、たっくんが不意に漏らした「美弥子」の名前が原因で別れることになりました。

ここまでの物語で大体の観客が思うのは、「マユのために努力して痩せイケメンとなったたっくんは、マユと美弥子に二股をかけており、妊娠させた上に堕胎させたマユを切り捨て、結局美弥子とつきあうことにした」というものでしょう。

もしここで映画が終わったとしたら「なんてありふれたつまらない恋愛物語なんだ!」と憤慨していたでしょうが、もちろん最後に大仕掛けが仕込んでありました。

イニシエーション・ラブ

原作では、この後美弥子がたっくんのことを「辰也」と呼ぶシーンですべてのからくりがわかるようになっていました。A-sideのたっくんは鈴木夕樹、B-sideのたっくんは鈴木辰也なので、同じたっくんでも別人だったことがわかるんですね。これは文字で読む小説だからこそできたトリックです。つまり、「A-sideのたっくんとB-sideのたっくんが同一人物であると錯覚させる」ことがこの物語のトリックなのです。

映画ではこの問題を、「たっくん(森田甘路)が努力の末に痩せてイケメン(=松田翔太)になったと錯覚させる」ことで成り立たせました。原作を読み込んでいた私も、正直これには驚きました。なるほど、さすがTRICKを撮影された堤幸彦監督だと。

イニシエーション・ラブ

ただ原作を読んでいた人に対して、ここで感心して終わりになってしまうのは面白くないと考えたのか、映画では結末の「続き」まで描いていました。これによって、物語はさらにひっくり返されることになります。

原作では決して会うことのなかったふたりのたっくん。映画のラストではなんと、このふたりが邂逅します。

結末の「続き」で、物語はまた反転する

クリスマスの日、美弥子の実家でもてなされたたっくん(松田翔太)は、ふとこのまま美弥子と結婚するのだろうかと考えます。そのとき過ったのは他ならぬマユの存在。数カ月前に切り捨てるかたちで別れたというのに、このあいだ間違えて電話をかけた際、こちらは名乗ってもいないのにマユは「たっくん…?」と切り出しました。思わず電話を切ってしまったたっくんですが、それがずっと心残りでした。「別れたと思っていたのに、マユはまだ俺のことを忘れていなかった…」

居てもたってもいられなくなったたっくんは美弥子の実家を飛び出し、車で静岡へと急ぎます。なぜなら今日は、元々マユとクリスマスを過ごすために半年も前から予約していたホテルに行くため、会う約束を予定していた日だったから。もちろん別れたことでキャンセルしていますが、そのことをマユは知らないはず。もしかしてマユがまだオレ(たっくん=松田翔太)と付き合っていると思っているのなら、その待ち合わせ場所でずっと待ちぼうけているのかもしれない。もしそうだとしたら、元鞘に戻るにしろきっちり別れを切り出すにせよ、会わなければ…!そう考えたたっくんが待ち合わせ場所に着くと、そこにはマユの姿が…。

イニシエーション・ラブ

片やたっくん(森田甘路)は、クリスマスをマユとともに楽しく過ごしていました。マユに貰った靴を履いて走りだしたたっくんは、向こうからやってきたたっくん(松田翔太)とぶつかり倒れこみます。「何やってんのー」とかわいらしく声をかけるマユが、ぶつかった相手に声をかけようとしたところで、遂に3人が邂逅してしまいます。

ここで本来の時系列通りにまとめられたダイジェストが流れ、観客は仕込まれたトリックを理解することになります。簡単に言うと、A-sideが終わった先にB-sideが始まっているわけではないということ。カセットテープを思い出してみてください。A面が回っているときには裏でB面も回っているのです。つまりAとBは同時進行しているということなんですね。しかも時系列がズレているので、ますます混乱を招いてしまったのです。

イニシエーション・ラブ

事態が飲み込めないふたりに対し、ラストカットで映しだされるのはマユ(前田敦子)のなんとも言えない困り顔。それは「あっちゃー」とも見えるし「あらあら」にも見える。確実に言えるのは、小悪魔の微笑だったということ。

つまり、映画版で付け足された美弥子の実家以降の話は、結末を改編することになったのです。おそらくこれが、原作の既読者に向けたもうひとつのトリックだったのでしょう。

もうひとつのトリックがもたらす意味とは?

この付け足されたトリックが、物語をどう変えたのか。もう一度この映画のタイトルについて考えてみましょう。

イニシエーションとは「通過儀礼」という意味。通過儀礼とは、出生・成人・結婚・死など人間が成長していく過程で通らなければならない経験を指し示しています。つまりイニシエーション・ラブとは、「本当の恋に出会うための儀礼的な恋」を現していると考えられます。

イニシエーション・ラブ

原作小説では、たっくん(辰也)とマユの恋がお互いにとってのイニシエーション・ラブとなっていました。つまりたっくん(辰也)は一時は本当に好きだったマユを振ることで新たな恋(美弥子)に向かうことができ、マユはたっくん(辰也)との悲しい恋を経験し別れたことで新たな恋(夕樹)に向かうことができたわけです。タイトルの意味がわかる最後2行のトリックは、だからこそ神秘的なまでに美しい余韻を残したのです。

といってもマユはまだ辰也と付き合っている段階で夕樹とも付き合っていたわけですから、世間的には二股をかけていたことになりますよね。もちろん辰也も二股をかけていたわけですから、互いに同罪とも言えますが。だからこそ、小説版には悪人がいなかったのです。辰也もマユも二股をかけていたにしろ、お互いがこの恋に信用がおけないことに気付き次第に新しい恋に向かっていこうとしていることで、それほど嫌悪感を持たずに済んだのではないでしょうか?

イニシエーション・ラブ

しかし映画ではこの印象がガラッと変わります。

まず、原作で辰也は美弥子からマユに心を戻そうとすることはありませんでした。しかし辰也(松田翔太)はマユのことをまだ想い、結局マユの元に走ってしまいます。その結果もうひとりのたっくん(森田甘路)と邂逅してしまうわけです。つまり、イニシエーションどころか未練タラタラな感じで終わってしまうのです。

その上、最後に見せるマユの小悪魔的な微笑。

これでは完全にマユが「悪人」となり、辰也はかわいそうな人として印象が残ります(マユを妊娠させて堕ろさせた経緯があるにしろ)。

イニシエーション・ラブ

A-sideからB-sideに切り替わるタイミングで夕樹がマユに貰った靴を履いてランニングしていることから、おそらく夕樹はマユと楽しく付き合えていることが想像できます。時系列がごっちゃになっていると理解し難いかもしれませんが、このシーンは3人が邂逅した後のシーンであるはず。つまり、あんな対面があったのに、夕樹はマユに貰った靴を履いてランニングしているわけです。おそらく痩せようとして。ということは付き合いが続いていると考えていいんじゃないかと思います。

辰也があの後どうなったのかはわかりませんが、美弥子の実家から急に飛び出して元カノのところへ走ったことから、美弥子とは気まずい確執が残っていると考えられます。ひょっとすると辰也にはまだイニシエーション・ラブが訪れていないのかもしれません。只々翻弄された愚かな男としてしか描かれていませんから。

辰也とマユの二股は批判されるべきか?

これは私感ですが、原作のイニシエーション・ラブはとても美しい結末だったと思っています。恋愛至上主義の人にとって二股は許せないのかもしれませんが、正直誰にだって「ああ、もうこの恋は終わっているな」と思いながらダラダラ付き合っていた経験ぐらいあるんじゃないでしょうか?言うならば別れるきっかけを探しながら付き合っている状態ですね。

こういった状態では、むしろ浮気がバレてほしいとどこかで思っていたりするんじゃないでしょうか。なぜなら、浮気がバレることでスッキリと別れを切り出せるからです。辰也とマユの後期の恋模様を見ていると、そう感じずにはいられませんでした。なんだかんだと言い訳しながらも続けていた付き合いをイニシエーションとして捉え、新しい恋へと向かう。それってとっても美しいものなんじゃないかと私は思います。

イニシエーション・ラブ

辰也を振り回される愚かな男として、マユを稀代の悪女として描くこの映画の結末は正直好きにはなれませんでした。とはいえ、原作と映画は別物なので良し悪しを比較する気はさらさらありません。しかしよく原作の雰囲気を極力壊さずに再現したものだと驚いています。原作を知らなくても読んでいても楽しめるトリックを仕込んであったことにも好感がもてますね。

恋愛物語としても謎解きミステリーとしても楽しめる映画「イニシエーション・ラブ」。カップルで観たら誰に共感するかで感想が割れ、ひょっとするとその恋がイニシエーション・ラブになってしまうかもしれないのでご注意を…。

亜蘭澄司の正体

最後にひとつ、キャストにクレジットされた亜蘭澄司とは何者だったのかについて。

原作にも登場しないこの人物、変わった名前だとは思いませんか?アメリカで1999年頃まで使われていた「アラン・スミシー」をもじったものであることは映画好きならわかるかと思いますが、簡単に説明すると実在しない映画監督の名前です。映画制作中に何らかの理由で監督が降板したり、または監督名を明かしたくないときに使用されるものだそうです。自分の作品として責任を負いたくない場合にも使われるそうですね。

語源通り、結局映画に亜蘭澄司は登場しませんでした。実は映画に登場するのに公式ウェブサイトにもクレジットされていない人物がいるのに気づかれたでしょうか?それは鈴木夕樹こと森田甘路さんです。これまで一切表に登場することのなかった、もうひとりのたっくん。映画の宣伝に登場させるわけにはいかなかった、もしくは登場させたくなかったのでしょう。

つまり、亜蘭澄司とは森田甘路さんのことだったのです(と、私は考えていますが、違ったらごめんなさい…)。

■筆者による小説版『イニシエーション・ラブ』の書評はこちら↓
第3回 乾くるみ『イニシエーション・ラブ』 逸品の恋愛物語と極上のミステリーは、同居させることができる
松田翔太✕前田敦子で映画化される『イニシエーション・ラブ』原作小説と映画版ではトリックが違う!?

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