中村文則『去年の冬、きみと別れ』 芸術に魅入られ、芸術を求め、人は芸術に狂う。

去年の冬、きみと別れ

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「悪」を見据えながら「善」を書く

脳天気な明るさを否定し、「悪」を見据えながら「善」を書く作家・中村文則。僕はずいぶんとこの作家の作品に救われてきましたが、美しいタイトルの本書「去年の冬、きみを別れ」には驚かされました。人間の内面を深く掘り下げていく純文学の装丁をしながらも、ミステリー要素が多分に含まれた内容だったからです。

今までにもこういったテイストの小説がなかったわけではありませんが、本作では物語性の強さが顕著です。近年中村文則は、ますます物語性を求めているようで、つい先日出版された「教団X」もまさにそのような内容となっているそうです(まだ未読です…早く読みたい)。

それゆえに本作を読み終わったあとは、トリックに騙された悔しい気持ちと、単純に悪であると捌き切れない人間誰しもが持つ業の深さをつぶさに感じ、しばし考えこむハメになりました。

芸術とはなにか?

ちょっと感想は書きにくいのですが、「美しい写真を撮る」ことに魅入られた死刑囚のアートカメラマン・木原坂雄大の想いが、私には少し理解できそうです。言葉を選びながら、綴ってみたいと思います。

あらすじ

愛を貫くには、こうするしかなかったのか?

ライターの「僕」は、ある猟奇殺人事件の被告に面会に行く。彼は、二人の女性を殺した容疑で逮捕され、死刑判決を受けていた。調べを進めるほど、事件の異様さにのみ込まれていく「僕」。そもそも、彼はなぜ事件を起こしたのか? それは本当に殺人だったのか? 何かを隠し続ける被告、男の人生を破滅に導いてしまう被告の姉、大切な誰かを失くした人たちが群がる人形師。それぞれの狂気が暴走し、真相は迷宮入りするかに思われた。だが――。

幻冬舎ホームページより

真実はどこにある?

ライターの「僕」が、死刑判決を受けた被告・木原坂雄大に会いに拘置所へ向かう場面から物語は始まります。アート家カメラマンとして高い評価を受けていた木原坂は、無数の蝶が乱れ舞う写真で海外のある賞を受賞します。評したロシアの写真家は、この写真に対し「真の欲望は隠される」と述べていました。

この物語は、芸術に狂わされた人間が選んだ破滅の道を描いています。

芸術とはなにか

何かに夢中になるのはすばらしいことだと思います。というか、夢中になれることがあるのは、と言い換えたほうが正確かもしれませんね。しかし、夢中も際限を無くすと、待っているのは現実から逸脱した破滅なのかもしれません。

小説の中で引き合いに出されている作品に、芥川龍之介が執筆した『地獄変』という小説があります。有名なので読んだことのある人も多いと思いますが、フリーライセンスの青空文庫に全文公開されているので、未読の方ぜひ読んでみてください。この本の読後感があからさまに変わるかと思います。

あらすじ

時は平安時代。絵仏師の良秀は高名な天下一の腕前として都で評判だったが、その一方で猿のように醜怪な容貌を持ち、恥知らずで高慢ちきな性格であった。そのうえ似顔絵を描かれると魂を抜かれる、彼の手による美女の絵が恨み言をこぼすなどと、怪しい噂にもこと欠かなかった。この良秀には娘がいた。親に似もつかないかわいらしい容貌とやさしい性格の持ち主で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。娘を溺愛していた良秀はこれに不満で、事あるごとに娘を返すよう大殿に言上していたため、彼の才能を買っていた大殿の心象を悪くしていく。一方、良秀の娘も、大殿の心を受け入れない。

そんなある時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。話を受け入れた良秀だが、「実際に見たものしか描けない」彼は、地獄絵図を描くために弟子を鎖で縛り上げ、梟につつかせるなど、狂人さながらの行動をとる。こうして絵は8割がた出来上がったが、どうしても仕上がらない。燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を書き加えたいが、どうしても描けない。つまり、実際に車の中で女が焼け死ぬ光景を見たい、と大殿に訴える。話を聞いた大殿は、その申し出を異様な笑みを浮かべつつ受け入れる。

芸術とはなにか?

当日、都から離れた荒れ屋敷に呼び出された良秀は、車に閉じ込められたわが娘の姿を見せつけられる。しかし彼は嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ事の成り行きを見守る。やがて車に火がかけられ、縛り上げられた娘は身もだえしつつ、纏った豪華な衣装とともに焼け焦がれていく。その姿を父である良秀は、驚きや悲しみを超越した、厳かな表情で眺めていた。娘の火刑を命じた殿すら、その恐ろしさ、絵師良秀の執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終える。日ごろ彼を悪く言う者たちも、絵のできばえには舌を巻くばかりだった。絵を献上した数日後、良秀は部屋で縊死する。

Wikipediaより

芸術の完成のためには、いかなる犠牲も厭わない

現在まで伝わっている芸術と呼ばれる作品の中には、作家の狂気の末に生み出されたものが少なくありません。常世と黄泉の狭間に片足ずつ突っ込みながら作品をつくることを良しとし、次第に死に飲み込まれていくこともあるほど、芸術が持つ力とは恐ろしいものです。

写真にという芸術に囚われた木原坂は、地獄変もかくやなやり方で芸術を極めようとします。そこに私たちの共感や感情移入は不要です。彼には彼の世界があり、彼の理想があり、彼の芸術性が存在しています。それは理解可能なものである必要はなく、世間的にみれば悪とされる行為であろうが、そんなことはどうでもいいことです。

芸術とはなにか?

地獄変は何度も歌舞伎の演目として上演されていますし、映画化・テレビドラマ化もされています。つまり、我々一般市民が求める物語なわけです。それに地獄変は高校の教科書で扱うところが多く、この物語から何かしらの人間性が含まれていることを示唆しています。

もちろん芸術に魅入られ犯罪行為を犯してしまうことを推奨するわけではありません。しかしそれでも人は芸術に魅入られるし、わざわざ魅入られに美術館に足を運び、画集を買い、何なら自ら描き始めることになるのです。自分が思う美を表現すること、それは全ての人間にインプットされている欲望なのかもしれません。

芸術とはなにか?

本書は立派なミステリー小説であり、謎を解くカタルシスを感じることも可能でしょう。しかし精緻なミステリ構造をしているかというと実はそうでもなく、警察小説や謎解きが肝になっている推理小説が好きな方からすれば、疑問符がたくさん浮かぶと思います。

といってもミステリ部分が主体ではないですし、今までの中村文則作品と同様に「人間の本質を描く」ことについては、全く違和感なく描かれています。過度なミステリ要素に期待しなければ十分満足できますよ。Amazonカスタマーレビューの低さを真に受けないでくださいね。

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