その価値観は許されている。『正しい』んじゃない、ただ『許されている』だけだ。

鈴木先生
「その価値観は許されている。だが、忘れるな。その価値観が正しいんじゃない。ただ許されているだけだ。ほかのあらゆる価値観、あらゆるエゴと同様、その存在を許されているだけだ。」

マンガ「鈴木先生」に、こんなコトバが出てきます。
生徒に避妊について話をする場面でこのセリフが使われるのですが、「許されているだけ」という考え方は、ひょっとすると人同士が理解し合うためにとても役立つものではないかと思い、当ブログでとりあげてみました。

現代は多様性の時代。
人は個性を求められ、確固たる自分を見つけ出すため、さまざまな「選べる自由」が与えられている。(学びの自由、職業選択の自由、結婚するかどうかの自由、など)

自由って、つらいですよね。

選択肢が無いことよりは良いとは思いますが、何を選ぶにしても「自己責任」ですから。
多少は縛られている方が、身を任せられて楽でしょうし・・・。

さおり

しかし、矛盾するようですが、自由にも束縛するものがあります。それは「確固たる自分の考えたこと」。

あらゆる自由から自分の個性を探して、ついに見つけた「確固たる自分が考えたこと」は、確固たる自分を形成するものとなり、他人の違う考え方を受け入れようとしなくなることに繋がります。人と違う価値観を持つことが許されているから、自分の価値観・考え方に固執することまでも許されてしまっている。“分かり合えない”とは、案外こんなことから生まれているのかもしれません。

ここで自分に問いかけるべきコトバが、“許されているだけ”です。

本当に大事なものは何?

「確固たる自分が考えたこと」は正しいのではなく、そういった考え方が許されているだけ。そう考えることで、相容れない意見と折り合いをつけることができる。

闘って、意見を叩き潰すでもなく、闘いを避けて自分の考えに閉じこもるでもなく、そういった考え方もあると折り合いをつけた上で、話し合うことが出来る。

すべての物事に当てはまることではないと思いますし、まだ私もこの考え方を、それほど実践できていません。しかし、いざこざがあった時や嫌な事があったときに、折にふれて”許されているだけ”と考えてみることで、随分と穏やかな気持ちになることが、しばしばあります。

個性重視の風潮に捕らえられ、コミュニケーション不全となり身動きが取れなくなっている方は、一度この考え方を試してみてはいかがでしょうか?

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