「怒鳴ること」で人を操ろうとする愚かな人について

「怒鳴ること」で人を操ろうとする人について

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デール・カーネギーの「人を動かす」を読んで

私がちょくちょく参加している読書会サークル”猫町倶楽部”。

最初の課題本は、デール・カーネギーの「人を動かす」でした。戦前に出版された本書は、ビジネス書のバイブルとして有名ではありましたが、タイトルがなんとも扇動的で読むのを躊躇。これを気に読んでみたのですが、主に人間関係の構築に適したことが書かれている良書でした。

それから、私がよく参考にさせていただいている”脱社畜ブログ”さんで、恐怖で人を動かそうとする人たちについてのエントリーを読んだことで、「人を動かす」で書れていた人に注意することへの提言に興味を持ち、今回記事執筆を試みました。

怒鳴る上司に、怖い先輩――「恐怖」で人を動かそうとする人たち

「怒鳴ること」で人を操ろうとする人について

テーマは「怒鳴る」ことの意義について。

というのも私が以前いた会社の社長が、まさに恐怖政治を行なって会社を運営していたんです。それはそれは酷いもので、一日の半分くらいは怒鳴っていました。対面で、電話で、あらゆるところで。幸い私が直接恫喝されることはありませんでしたが、有望な社員は恫喝に耐えられずに去ってゆくばかり。仕事のとばっちりは私たち残されたものにまわってくるわけです。

なぜ怒鳴って言うことを聞かせようとするのか?

それは、正しい叱り方を誰からも教わっていないことにあるのではないでしょうか?

上記の脱社畜ブログでも書かれていましたが、在籍期間が長くなることで無条件に管理職(マネージャー)をやらされている人がいるような小中企業は多いと思います。そうやって管理職になった人は決して「叱り方」のプロなわけではありません。結局のところ、自分が経験してきたような叱られ方、怒られ方を、実践することしかできないでしょう。

「怒鳴ること」で人を操ろうとする人について

私がいた会社の社長もそういった類いの人でした。果たして、怒鳴ること=恐怖政治で人は動くのでしょうか?

一時的にはとても効果があると思います。

ただ、それは結局のところ「ミスをしないようにすること」にのみ意識が集中することとなり、生産性が著しく落ちることになるでしょう。しかも、怒鳴られるのが嫌で、ミスしても報告を先延ばしにしてしまう隠蔽体質が根付くことも否めません。

恐怖にもいずれ、慣れてくる

しかも、人間は慣れてしまう生き物です。

以前の会社では怒鳴り声が響き渡っていましたが、ある時からそれが日常だと考えるようになり、耐えていた人達は怒鳴られることによって何かを改善しようと思わなくなっていきました。「はいはい、すいません」と言っておけばいずれ嵐はおさまるし、聞き流しておけばいいやと思いますよね、それは。それでも怒鳴られているという精神的な苦痛が続き、その方はうつ病で退職されました。

「怒鳴ること」で人を操ろうとする人について

怒鳴ることに、何の意味もないと私は思います。恐怖によってマネジメントをしようとしているような経営者、管理職、マネージャー等は愚かとしか言いようがない。人間的にも敬意は持てません。

彼らにこのコトバがが届くのかどうか。前社の社長には、残念ながら届きませんでした。彼の元からは、今も次々と人が離れていっています。

人を動かすのは、そんな簡単なことじゃない。それだけでも学んでもらいたいものです。

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