デバイスとコンテンツが一体化した『紙製の本』。そして、人はかたちあるものにしか愛着を持てないという話

紙製の本、やっぱり大好き

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電車で見かけることが増えた、紙製の本を読む人たち

先日書いた『まなざし』の記事で、「最近、電車の中で本を読む人が増えてきたように感じませんか?」という問いかけをしました。これは私が日々の通勤でリアルに感じたことから発信したのですが、その折に「本というものは非常に優れたコンテンツなんだな」と再認識するに至りましたので、今回はこのことについて書いてみたいと思います。

今日も今日とてお手伝いしている会社に電車で向かい、仕事を終え電車に乗って家に帰りつきます。乗り換えの関係で行き帰りで都合6両の電車に乗ることになるのですが、そのどの車両にも紙製の本を読んでいる人がいます。これが1年前なら、紙製の本を読む人は皆無だったこともあります。それが2015年の今、何故だかスマホをいじっている人よりも多いこともあるんですね。あ、ちなみに場所は東京都心圏での話です。

きちんと統計を取ったわけでもないですし、ひょっとすると日によって割合は全然違うのかもしれませんが、実感として、日々電車に乗る身として、紙製の本を読んでいる人は確実に増えています(昔に戻っているのかもしれませんが)。

紙製の本は、デバイスとコンテンツが一体化した優れものである

今さらこんなことを書くのもなんですが、電子書籍と紙製の本の違いはどこにあるのでしょうか。散々議論しつくされていることであり、人それぞれで答えは違うことは承知の上です。

私からすると、電子書籍は「デバイスがあって初めてコンテンツに辿りつけるもの」で、それに対し紙製の本は「コンテンツとデバイスが一体化したもの」であるということが、何よりも大きな違いだと思っています。

どういうことかというと、電子書籍はデバイスがあって初めて機能するものなんですね。それに対し、紙製の本はそれ自体がデバイスであり、コンテンツでもあるのです。

紙製の本、やっぱり大好き

電子書籍を読むためのデバイスはたくさんあります。スマホのアプリやキンドルのような電子リーダー、ニンテンドー3DSやプレイステーション・ポータブルといったゲーム機からも読むことができます。ものによってはデバイス間で共有することができ、ひとつのコンテンツを購入すればどのデバイスでも読むことが可能です。非常に便利ですね。

それに対し紙製の本は、紙製の本以上でも以下でもありません。そのコンテンツを読むためだけに存在するデバイスと一体化しています。汎用性は全くありません。

こういう比べ方をすると電子書籍の方が利点だらけで、もはや紙製の本に出番はないと考えられますよね。それなのに、なぜ紙製の本を読む人はいなくならないのでしょうか?

本を読むことは、自己との対話

「本を読む」とは、極めて閉じた行為であると言えます。基本的に自分と本は1対1の存在で、他者の介在を許さないことが多いでしょう。ゆえに本を読んでいる人に対して軽々しく声をかけることは、対話の邪魔をするようなものです。真剣に本を読んでいる人に、声はかけづらいでしょう?

ひとつのコンテンツでありデバイスでもある紙製の本は、「人がその本を開いている時点で、その本を読んでいるとしか考えられない」状況をつくりだします。傍から見た際に、今あの人は自分と対峙しているんだということが一目でわかるんですよね。

それに対し、電子書籍は対峙性が弱く感じられます。それはデバイスとコンテンツが切り離されており、またコンテンツは随時入れ替え可能な「代替可能物」として存在しているからではないでしょうか。つまり限定性に欠けているのです。

紙製の本、やっぱり大好き

もちろん明確にこの本を読む、と考えて電子書籍を開くことはあるでしょう。しかし電子書籍で本を読む場合、デバイスのスイッチをいれ起動し、場合によってはビューワのアプリを起動し、電子本棚から本を探し、やや読み込みを待ってしおりの位置から読み始める・・・といった流れになります。実際に読み始めるまで、何ステップが踏む必要があるんですね。

地味なことだと思われるかもしれませんが、本を読みたいという意思には、こんな少しの手間ですら影響を及ぼすものです。「読もう!」という情熱があっという間に冷めてしまう経験は、誰にでもあるんじゃないでしょうか。パッと手にとってすぐに自己との対話に入ることができる紙製の本は、その即時性や限定性(デバイスとコンテンツの一体化)に極めて優れているのですね。

電子データに、愛着を持てますか?

もう1点、これまた地味なことですが、人は電子化されたコンテンツに愛着を持ちにくいものです。例えば大好きなミュージシャンのCDに愛着が湧くことはあっても、MP3にフォーマットされた音源自体に愛着を持つのは難しいと思います。「この作家のこの本が大好き!」という愛着は紙製の本には芽生えますが、電子書籍の中に入っている電子データには、同じように持てないのではないでしょうか。

人間というものは、かたちあるものにしか愛着を持てないのかもしれません。

紙製の本、やっぱり大好き

「そんなことはない、電子書籍でも大事にしているよ。」という方もいらっしゃるでしょう。しかしよく考えてみてください。愛着を感じているのはコンテンツではなく、iPadやキンドルといったかたちあるデバイスの方じゃないですか?

もう少し深く切り込んでみるとすれば、「代替可能なものに愛着は持ちにくい」と言えるかもしれません。

紙製の本は、全国どこの店で買っても同じ値段の同じ本です。そういう意味では代替可能ですが、今私の手にあるこの本は、この本でしかありません。近所の書店で売っている本とはどこか違うのです。それはきっと「愛着」というやつなんでしょうね。愛着という価値が宿ったのです。

書店はなくなっても、本は決してなくならない

電子書籍ブームがやってきたときにはキンドルで本を買うこともありましたが、今ではすっかり紙製の本愛好家に戻ってしまいました。

いろいろと語りましたが、電子書籍には電子書籍の良さがあります。巻数がどうしても多くなるマンガは本棚をあっという間に埋め尽くしてしまうため、最近は電子書籍で買うようにしています。基本的に頭から読んでいくマンガは電子書籍に向いているのかもしれません。

紙製の本、やっぱり大好き

逆に、途中途中をその都度開く専門書や技術書、教養書などはやはり紙製の本が向いていると感じますね。パッと手にとってパッと開けるというメリットは、やはり電子書籍にはできないところだと思いますので。

「紙は淘汰されるべきだ!」とか、「電子書籍にはページを指でめくる楽しさがない!」とかで争うんじゃなく、要は住み分けだと思うんです。長らく続く出版不況の折で書店は今後も無くなっていくでしょうけれど、決して「本」というコンテンツはなくならないでしょう。かたちは変わるかもしれないですけどね。

開いた瞬間から対話が始まる、本というすばらしいコンテンツ。紙にしろ電子にしろ、私は愛してやみません。


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