映画『ペコロスの母に会いに行く』 認知症の母親の人生を巡る大河ドラマに、介護の希望をみる

ペコロスの母に会いに行く

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ボケるのは、そう悪くないのかも

これには参った。もう途中から涙が止まらなかった。

できれば目を背けたい介護の現実。しかもそれが自分の親だとしたら尚更のこと。原作本「ペコロスの母に会いに行く」は、地元長崎で活動するフリーライター・岡野雄一さんのエッセイ漫画。やさしいタッチの絵で、認知症になった母親との交流を描くほのぼのとした物語……と思いきや、戦前・戦中・戦後を生きながらえた母親の人生を巡る大河ドラマが描かれていて驚きました。

ペコロスの母に会いに行く

介護について何か書くとき、どうしてもつらい現実ばかりになってしまうのは否めません。かといって明るく楽しいイメージで描いたとて、人はそこに嘘が介在していることを見抜きます。ペコロスも、本の表紙を見たときには後者の印象を抱きました。

ほんわかイラストで介護の明るい面を見せてくるんだろうなと勝手に心配していたのですが、きちんとつらい部分を描きつつも「ボケるのは、そう悪くないのかも」と感じさせるような母との交流がつぶさに表現され、「長い人生を生きてきた人のドラマに目を向ける」、ということを教えられた気がします。

ペコロスの母に会いに行く

人は年をとり、老人となったとき、幼児退行するといいます。しかし老人には、幼児と違いそれまで生きてきた分の記憶があります。例え認知症で記憶が失われていったとしても、アウトプットができないだけでインプットはされたまま。何かの拍子に思い出すこともあるでしょう。そのドラマを知れば、人はどこまでも優しくなれる。先人の人生に、自分の人生の始まりを見るでしょうから。

あらすじ

長崎で生まれ育った団塊世代のサラリーマン、ゆういち(岩松了)。ちいさな玉ねぎ「ペコロス」のようなハゲ頭を光らせながら、漫画を描いたり、音楽活動をしながら、彼は父さとる(加瀬亮)の死を契機に認知症を発症した母みつえ(赤木春恵)の面倒を見ていた。

迷子になったり、汚れたままの下着をタンスにしまったりするようになった彼女を、ゆういちは断腸の思いで介護施設に預けることに。苦労した少女時代や夫との生活といった過去へと意識がさかのぼっている母の様子を見て、彼の胸にある思いが去来する。

シネマトゥデイより

介護についての現実入門

この映画を観ると、当たり前ですが否応なしに親の介護を想像せざるをえません。自分の親がもし認知症になったら……なんて恐ろしくて目を背けたくなりますが、そんな介護という技術や考え方を学ぶのに「ペコロスの母に会いに行く」は非常に有用な入門書足りえるんじゃないでしょうか。

というのも、つらい現実と明るい希望の持ち方を教えてくれるような気がするからです。「気がする」のは、自分が実践として介護に携わったことがないから。なので信ぴょう性があるかわかりませんが、少なくとも以前より介護についての意識と覚悟はついたように感じています。

ペコロスの母に会いに行く

例え親子の関係でなくても、人を介護するのにその人のことを知らないようでは、きっとうまくできないでしょう。これから記憶を得ていく幼児とは違うのです。もうすでに自分より長い人生経験をもった人に、敬意を持たずに行なう介護は「介護」と呼べるものではないのかもしれません。

正直、とても地味な映画です。別にイケメンがたくさん出てくるわけでもありません。ビジュアル的に食いつきにくいのもわかります。それでも、この映画は多くの若い人に観てほしい。いざ自分がその立場になったとき、この映画を思い出すことができれば、介護について何かが少し変わるような気がします。


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