水川あさみ × 木村文乃『太陽の坐る場所』 “関係性”の光の影と、“人間性”の光と影

太陽の坐る場所

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原作小説と映画は、ジャンルからして異なる存在

原作は辻村深月の傑作ミステリー小説。・・・ですが、おそらく原作小説を読まずにこの映画を観た人は、「どこがミステリーなんだろう?」と首を傾げるかもしれません。厳密には映画化するにあたり設定にアレンジを施してあるため、ミステリー要素は薄れ、人間ドラマの様相を呈しています。

原作小説では叙述トリックが仕込まれていて、登場人物も映画よりも多くなっています。ミスリーディングを誘い読者をあっと驚かせるような結末ですが、映画では特にミステリーらしさを提示することもなく淡々と締めくくられ、なんとも後味の悪い結末を辿ります。

思うに映画監督は、この映画にミステリーとしてのおもしろさよりも、人間ドラマのおもしろさを感じたのではないでしょうか。だからここまで視点が違うのかもしれません。なので原作を読んでいても、また違った視点で楽しむことができるんじゃないかと思います。

とりあえず、あらすじから紹介しましょう。

あらすじ

太陽の坐る場所

学校中の人気を集め、クラスの女王として君臨していた響子。自分の立場も、好きな人も、友達すらも、欲しいものは何でも手に入ると信じていた完璧な高校時代。彼女の傍には、いつも、同じ名前を持つ同級生の今日子がいた。光り輝く太陽と、その光に付き従う影のように。

太陽の坐る場所

高校卒業から10年。過去の輝きを失い、地元で地方局のアナウンサーとして満たされない毎日を過ごす響子と、彼女とは対照的に、東京に出て、誰もが憧れる人気女優として活躍している今日子。そんな2人の元に、クラス会の知らせが届く。これまでにも、度々開かれてきたクラス会で話題にあがるのは、女王、・響子ではなく、女優となった今日子のこと。

太陽の坐る場所

かつての光と影が入れ替わり、卒業以来、言葉を交わすことすらなかった2人がそこで再会を果たす…2人が向き合い、初めて語られる10年前の真実とは

http://taiyo-movie.jp/story.htmlより引用

絶対的スクールカーストの崩壊

ひとことで物語を説明するなら、「絶対的な制度して成立していた高校時代のスクールカーストが、大人になった今立場は逆転し、当時の光と影が再開を果たした際に初めて語られる10年前の真実とは何か」をめぐるドラマとでもいいましょうか。

正直、そんなにめずらしいテーマではないと思うんですよね、こういったスクールカーストを描いた青春ドラマって。閉じ込められた檻のような学校生活で、一度成立すると卒業するまでそれを引きずらざるをえなくなる残酷なシステム。

本作も基本的にはそういった状況が描かれています。

クラスの女王として君臨する響子。光のような響子の側には、いつも今日子がいました。さらっと流してしまいそうですが、ここで最も残酷な仕打ちが今日子に成されます。

「鈴原今日子だから、今日からリンちゃんね!」

太陽の坐る場所

何気ないひとこと。傍から見ると単なるあだ名付けのワンシーンに過ぎませんが、響子からすれば「自分と同じ名前の存在などこの世界に必要ない」という思惑があったに違いない、と感じさせるカットがここで入ります。

自分を表す最も強いアイデンティティは名前。今日子はその名前を名乗る権利を奪われたのです。これが10年後の現在を描くシーンでも強く影響してくる出来事なんですね。

仲良く振る舞う響子とリンちゃんですが、何でも自分の思い通りにならないと気が済まない響子に、リンちゃんは素直に従おうとしません。空気を破壊しない程度に逆らってくるし、響子がいじめた子にも優しく接しようとする。しまいには、響子の彼氏までリンちゃんに興味を持ち始める始末。

響子が女王として君臨し続けることができなくなったのは、もうひとりの今日子が存在したからでした。

人間性そのものの光と影

映画版「太陽の坐る場所」で描かれているのは、「関係性の光と影」とともに、「人間そのものの光と影」なのではないかと思います。

物語は響子と今日子を軸に、島津と由希というふたりの同級生が大きく関わってきます。クラス会の幹事を務めるこのふたり、性格や考え方は正反対にも関わらず、妙な相性の良さを匂わせます。それは島津が由希のことを想っているということもありますが、上っ面の良い人さを押し出す島津に対して、自分の性格の悪さを隠そうともしない由希の人間臭さが絶妙に表現されているからかもしれません。

太陽の坐る場所

映画では響子と今日子が描かれている時間よりも、脇を支える島津と由希の時間の方が長かったんじゃないかと思います。結果、この四者の関係性が物語の四隅をしっかり固めていたお陰で、物語全体の光と影がよりくっきりと表現されていたのだと見終わったあとに感じました。

人間は望む望まずに関わらず、自動的に光か影の役割を担わされる。そしてその両極端は、ゆっくりと旋回するように入れ替わることもある。光と影は絶対的なものではなく、ひとつ歯車が狂うだけであっという間に崩壊しうる関係性なんですね。

静かで、淡々とした温度のこの映画。人間ドラマが好きであれば、見て損はしません。

追記:
水上由希を演じた森カンナが、実に素晴らしい役者であることがこの映画でわかったのが、一番の収穫だったかもしれません。「いるいる、こういう性格の悪い女!」と快哉を叫びたくなります。

太陽の坐る場所

森カンナ


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