映画『アデル、ブルーは熱い色』 実存主義を生きるエマに、至上の愛と人生とは何かを学べ。

アデル、ブルーは熱い色

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人生そのものを凝縮した愛のかたまり

快挙となった、監督と主演女優ふたりのパルム・ドール授賞

アブデラティフ・ケシシュ監督作品が日本で公開されたのは、この『アデル、ブルーは熱い色』が初めてのこと。カンヌ映画祭では栄えあるパルム・ドールを獲得し、監督のほか主演した二人の女優、アデル・エグザルホブロスとレア・セドゥにも賞が贈られました。

パルム・ドールは本来監督にのみ贈られる賞。演者に贈られる、しかも主演したふたり同時に贈られるのは、カンヌ映画祭史上初めての快挙だそう。

第66回カンヌ国際映画祭の審査委員長を務めたスティーブン・スピルバーグは、「偉大な愛の映画、そのひと言に尽きる。 この映画を見ることができたということ自体が、私たちひとりひとりにとって祝福に値するだろう。」と、最大の賛辞を3人に贈りました。

パルム・ドール賞受賞

好きになった人が、たまたま同性だっただけ

この映画がどんな内容なのか、説明するのは簡単なようで、難しい。

ひとことで言うなら、至ってノーマルな性癖だと思っていた高校生のアデルが、確固たる主義を持って生きるレズビアンのエマと恋に落ちるラブストーリー、となるでしょうか。

しかし、その本質は「レズビアンであること」ではありません。

情熱のこもった本当の愛、相いれぬ本質によるすれ違い、そして後悔を生む別れ、果ては生き方の模索・・・。3時間にも及ぶ尺の映画とは思えないほど描かれる圧倒的な愛のパワーに気圧され、アデルの平凡さとエマの孤高さがもたらす心の乖離に涙する頃には、いつの間にかスタッフロールが流れていることでしょう。

もっと言うならば、この映画は「人生そのものを凝縮した愛のかたまり」と言えるかもしれません。私は基本的にラブストーリーの映画を好みませんが、『アデル、ブルーは熱い色』から感じる愛には、正直嫉妬せざるをえません。

アデル、ブルーは熱い色

愛の価値を認められない私の、価値観を変えてくれた

ここまで狂おしいほどの愛を、人は感じることができるのか。そして、その愛を喪っても、人は歩み続けることができるのか。

この映画を観た後なら確信を持って言えます。

人は本気で誰かを愛することができるし、例え愛を喪うことになっても生きていくことができる。

とても嬉しい。この映画は、私の人生観を変えてくれた作品のひとつとなりました。

アデル、ブルーは熱い色

愛に溢れ、愛を喪うストーリー

出会いは偶然に、しかし必然に

高校生のアデル(アデル・エグザルホブロス)は、横断歩道ですれ違ったブルーの髪の女・エマ(レア・セドゥ)に一瞬で心を奪われた。

たった一目見ただけなのに、脳裏に焼き付いてはなれない。その熱い想いは、無意識の内に妄想で自慰行為をしてしまうくらい燃え上がるほどだった。

人並みに彼氏をつくり、人並みにセックスし、人並みに恋愛を楽しめると思っていたアデルは、ちょっとしたノリで友人の女とキスを交わしたことから、実は自分がレズビアンなのではないかと疑い始めていたときだった。

ゲイバーに足を運んだアデルは偶然、いや必然にエマと再会する。身の上を話す内に、エマは画家を目指す美大生であることがわかった。未知の世界を、マイノリティとして強く生きているエマにますます惹かれていくアデル。平凡な家庭でのんべんだらりと生きている自分と、全く違う生き方をしているエマに惹かれるのは、もはや必然だったのかもしれない。

文学の才能があることをエマに示唆されるも、「私にはそんな才能を活かせられない、夢だった教師になるの」と、アデルは自分でも本当なのかわかっていないことを言ってしまう。数年後教師となったアデルは、それでもエマと一緒に暮らせることで至福の時間を過ごしていた。

アデル、ブルーは熱い色

エマが、私の手から離れていく・・・

エマは画家として順調にキャリアを重ねていた。あるとき、エマの作品を友人たちに披露するパーティがふたりの家で開催される。アデルは絵に興味があるわけではなく、知識があるわけでもない。エマが友人たちと交わす専門的な話に入ることができない中、エマの作品を高く評価しているリーズという女性が、エマと仲良くしている姿を見て嫉妬の感情を抱いたことから雲行きは怪しくなっていく。

エマと心の距離がだんだん離れていくことに寂しさを感じるアデルは、勤務先の同僚の男と寝てしまう。男の車で家に送ってもらったアデルは、車の中で男と熱いキスを繰り返す。しかし、その姿はエマに見られていた。

エマの怒りは凄まじいものだった。「売春婦!」の言葉に始まり、アデルの弁明は一切認めず、ただひたすらに罵倒する。アデルは必死で謝罪した。最初はごまかそうとしていたが、嘘を貫き通せないと感じ、本当のことを話す。

エマがどんどん私から離れていくようで寂しかったことや、男と寝てしまったがエマに対する愛は変わっていないこと、顔を涙でくしゃくしゃにしながらエマに訴えるアデルの姿に、私たち観客は、アデルのエマに対する愛が本物であることを理解するだろう。ひょっとしたらエマも、本当はわかっていたのかもしれない。

しかしエマは、アデルを家から追い出した。

アデル、ブルーは熱い色

「ブルーは熱い色」の、本当の意味

この別れ、実は事前に暗示されていた。

エマが画家として評価を得られるようになったときから、彼女の髪の色はブルーではなくなっていたのだ。この映画のタイトルは、『アデル、ブルーは熱い色』。ブルーは熱い色として定義されている。ブルーを喪うことは、熱が失われること。つまり、エマのアデルに対する想いが喪われることを意味していたのだろうから。

その後、復縁する兆しも少し垣間見える。しかし、エマはそうしなかった。それがもはや真の愛ではないとわかっていたから。均衡だった愛の重さは、いつの間にかアンバランスになってしまった。

物語の最後。

エマに招かれた個展に、ブルーの美しいドレスを着て向かうアデル。もちろん、願わくば復縁できればという想いが込められていたのだろう。しかし、自分の生き方を貫くエマの姿に、もはやアデルは何もできなかった。

エマに最後の言葉は告げず、そっと個展を後にするアデル。

その背中は、新しい自分の人生を生きようとしているように見えた。

アデル、ブルーは熱い色

サルトルの実存主義に生きるエマ

実存は本質に先立つ

エマの自由に生きる姿に憧れない人はいないんじゃないでしょうか。レズビアン、ブルーの髪、絵描き・・・マイノリティであることを無視するかのように生きるエマ。平凡に生まれ、平凡に育ったアデルが惹かれてしまうのも当然でしょう。

「実存は本質に先立つ」とは実存主義を示す有名な言葉ですが、まさにエマは自分の人生を自分で切り開いていく実存主義者として描かれています。だから、この映画に本質は無いのかもしれません。唯あるのは、ふたりの生き方のみ。

アデルとエマは、あらゆることが相反する存在として描かれています。それは前述した考え方や哲学だけでなく、ふたりを取り巻く環境や家族にまで迄びます。

アデル、ブルーは熱い色

対照的な存在として描かれるアデルとエマ

アデルは、言わば庶民。自分が結婚するのは当然男性だし、文学なんて食えない趣味にすこし才能の兆しがあるからといって、無謀に追いかけることはしない。ちゃんとした仕事に就き、安定した生活ができればそれでいい。それに、家族もみんなそう思っている。だから、エマを招いたとき、家族はエマの絵描きという仕事に不安を感じたし、彼氏は安定した仕事をしているのか尋ねた。それはエマがアデルの恋人であることを微塵も考えていないことを意味しています。

エマは、言わば開拓者。レズビアンだから同性の女性に恋するのは当たり前だし、自分が興味を持って取り組める絵画の道を走るのは至極当然のこと。マイノリティが被る毀誉褒貶は理解しているし、自分の生き方には自分で責任を取る。それに、家族は自分の考えを許容してくれている。だから、アデルを家に招いたときに家族は、当然のようにアデルをエマの恋人として歓迎した。

どっちが良くてどっちが悪い、という話ではありません。

どう生きるか、が問われている映画なのです。

アデル、ブルーは熱い色

自分の生き方に責任を持っているか?

アデルとは「正義」を意味する言葉です。正義という言葉には、正しく良いことを行なうという意味以外に、常識やルールに従いその当たり前を疑うことをしない、というマイナスの意味も含まれています。

もう一度言いますが、どっちが良くてどっちが悪い、という話ではありません。

この映画は、あなたはどう生きるかを自分で考え、どう生きるかを自分で決め、どう生きるかに責任を持っているか、について問いかけているのだと私は解釈しています。

エマが正解というわけではありません。ただエマは、自分の生き方に責任を持っています。自分を裏切ったアデルをまだ少なからず想っている気持ちよりも大事なことがあり、それを貫いた。

だからアデルのような私たちは、エマに恋をしてしまうんです。

至上の愛と、至上の哲学を同時に学べる映画。かつ、物語としてのおもしろさも兼ね備えている。
私はこれほどのことを感じさせてくれる映画を、今までに観たことはありません。

全ての人にオススメします。

アデル、ブルーは熱い色

アデルとベアトリスとエマ

アデル

アデル役を務めたのは、アデル・エグザルホブロス。おもしろいことに、役名と実名が一緒なんですね。しかも作中では「アデル=正義」という、かなり重要な意味付けがなされています。それだけに、アデル役は彼女にとって影響力のあるものとなったでしょうね。

で、このアデル。実に魅力的な顔立ちをしていると思いませんか?厚ぼったい唇は、気を抜くとすぐに半開きに。そのアヒル口はどこか未熟さを感じさせます。強い眼差しは大人になることへの強い意思を示し、エマのように自信を持つことのできない悔しさのようなものに溢れています。

もはやどこまでが女優としてのアデルで、どこからが役柄としてのアデルなのかわからない。まさに、アデルを演じるために生まれてきたような人ですね。

アデル、ブルーは熱い色

ベアトリス

映画中でアデルをレズビアンであることに意図せず気づかせた友人・ベアトリス役を演じたアルマ・ホドロフスキーが、もう信じられないくらいに美しくて、思わず魅入ってしまいました。モデルをやっている際は濃いメイクでどぎついイメージですが、映画中では高校生役のためかナチュラルな風合いで、それがまた美しい!

特に公式ホームページにあるこの紹介画像には、ときめかざるをえません。

アルマ・ホドロフスキー

エマ

エマ役のレア・セドゥは、ハリウッド映画などにも出演する大女優候補。トム・クルーズの代表作「ミッション・インポッシブル」にもグレートな悪役として出演していましたが、そのときのレアのアンニュイな眼差しがとても美しい。どことなく二階堂ふみ的なビジュアルだから好きなのかもしれませんが。

レア・セドゥ



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