【書評】ブノワ・デュトゥールトゥル『幼女と煙草』 1本の煙草が死刑囚を英雄に、役人を児童性愛者に変える

幼女と煙草

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煙草をくゆらせ、幼女をかどかわす

インモラルな香りのするタイトルですよね、「幼女」と「煙草」って。しかも帯文にはこう書いてあります。

“煙草をくゆらせ、幼女をかどかわす。それは世界で最も重い罪”

ゾッとするような忌まわしい行為が目に浮かびますが、恐らくその予想は外れます。しかし、それよりももっと後味の悪い結末が待っていますよ。

いわゆるブラックコメディの様相で、中盤くらいまではニヤニヤ笑いながらこの社会風刺を楽しむことができるでしょう。しかし物語はどんどん救いのない方向へ…。

喫煙者の方は、覚悟して読まれた方がよいかと。たった1本の煙草が人生を狂わせることがある。そして、そうなる時代は着実に近づいている。このある種ファンタジックな物語は、数年後にはある国で、リアリティをもって受け入れられるかもしれませんね。

あらすじ

死刑囚デジレ・ジョンソンが、処刑前の最後の希望を伝えるところから物語は始まる。なんのことはない、彼が望んだのは「煙草で一服させてくれ」というシンプルなものだ。

しかしそれが大きな波紋を呼ぶことになる。

年々厳しくなる国の嫌煙化に際し、刑務所全体も完全禁煙を取り決めているのだ。しかも煙感知センサーも完備で、違反すれば凄まじい音量のブザーが鳴り響く。囚人たちもその音には耐えかね、必然的に煙草を諦めるようになるのだ。だから最後の希望を告げる際も「煙草を吸わせてくれ」などとのたまう輩はこれまでいなかった。

ゆえにジョンソンの望みは大問題となったのだ。

なぜか?それは、法律で「死刑囚は、刑の執行前に習慣に適った最後の望みを果たす権利がある」とされているからだ。

どうしていいかわからなくなった刑務所長は、最高裁に判断を委ねた。これを期に煙草を吸う権利の復興を求めて動き始めるタバコ会社や、無能な国選弁護人として地べたを這いずりまわっていたジョンソンの女弁護士が暗躍する中、結局最後の一服は認められることとなった。

いざ煙草を吸い始めたジョンソンは、様々な報道機関が彼を撮っていた最中に、なんと花を摘みはじめ、その花で「人生バンザイ」と文字をかたどったのである。

バンザイ

「子どもや老人、障害者などの弱い人間を愛し、花を愛し、死の間際に人生バンザイを唱えるこの男、ひょっとして無罪ではないのか・・・?」

このメッセージは世間を一瞬で揺るがし、大統領から電話で恩赦を与えられ、瞬く間に彼は英雄へと様変わりすることになる。

さて、これだけなら物語はブラックユーモアでさっぱり終わらせることもできるだろう。しかし、忘れてはならない。まだ主人公は登場もしていないのだから。

市役所に務める主人公は、市長のエゴによって極端に子どもを保護する政策に辟易していた。市長は民衆のご機嫌を取るためなら、現実はどうあれ良くなっている風に見える都合のいい数字ばかりをチラつかせ、全てを煙に巻くくだらない男なのだ。

仕事を終えてバスで帰宅する途中の主人公は、遠足か何かで大量に乗り込んできた子どもたちの、あまりに傍若無人な振る舞いに腹を立てた。仕事で疲れている大人たちを立たせ、自分たちはさも当然かのように座る権利を行使するのだ。

主人公は思わず憤りを口に出してしまうが、以外なことに周りの大人たちは共感してくれなかった。それどころか異物を見る目で見てくる。いたたまれなくなった主人公は考えるのをやめてしまう。この世界(おそらく私たちの知る現実とは少し違う)では、社会は子どもを天使のように扱い、あらゆる権利を与えることを至上の喜びとしているようだ。子どもたちの邪魔をしたり、理不尽に叱ることはできないらしい。

当然のように市役所は全面禁煙で、しかも半分が託児所になってしまっているため、あらゆるところに子どもが出没する。大人が通り抜けられないくらいに廊下を占拠し、大人はそれを注意することはできない。子どもたちが自発的にどいてくれるまで、彼らは待たなくてはならないのだ。仕事もままならないが、それは子どもたちのせいではなく、従事者の能力がないからだと見做される。

主人公は市役所のトイレの個室に入り、長い時間をかけてドライバーで外した窓の外に向けて煙草をふかすのが日課になっていた。これは復讐だ。これだけ我慢してやっているんだ、煙草の1本や2本くらいいいだろう?

1本のタバコ

しかしこれが主人公の運命を変えてしまうことになる。

気を抜いてしまったからか個室の鍵をかけ忘れていた主人公は、5歳の女の子にトイレを覗かれていたことに気づく。当然煙草を吸っていたところも目撃されている。大人の権力で叱りつけ追っ払ったはいいが、根に持った女の子が母親に告げ口したことから事態はとんでもない方向に向かい始める。

そして、英雄となった死刑囚と冤罪をかけられた主人公を、あの無能な弁護士がつないだことから物語の最終章は幕を開けるー。

正論が幅を利かせた世界はディストピアとなる

私は嫌煙家です。今までに一度も煙草を吸ったことはありませんし、吸おうと思ったこともありません。喘息を持っていることから副流煙も極力避けたいと思っていますし、路上喫煙やポイ捨てするような喫煙マナーのなっていない大人はこの世から消えてほしいと思っているくらいです。

それだけに、煙草が人生を狂わしていくこの話は非常におもしろく読めたのですが、結末がもたらすあまりの不条理さに薄ら寒くなりました。行き過ぎた「正義」や「正論」は、何よりも強い暴力に他ならないですね。

そう、人に害を成す煙草を否定し、希望の塊である子どもをまるで天使かのように愛でることは、おそらく正しいことなのでしょう。というか、真っ向から否定はしにくいものだと思いますね。しかし、「弱者」はその名の通り弱い存在ですが、守るべき権利を与えられることで最強の存在に変わってしまうのです。

主張

「私たちは弱い存在なのだから、あなたたちのような強い大人は私たちを庇護し、心から愛さなくてはなりません!」

そんな風に権利を主張されたらどうでしょうか。私たち「強い大人」は反抗することができなくなってしまうんです。

「正論」は最強の武器になります。この世界が成り立っているのは「ホンネ」と「タテマエ」が共存しているからに過ぎません。「正義」や「正論」が幅を利かせた社会はユートピア(=理想郷)などではなく、ディストピア(=暗黒郷)になるのです。

この本はフィクションじゃなく、預言書なのかもしれない

そんなに文量のない小説(いや、ノンフィクションかもしれない)ですが、中にはいくつもの社会が抱える問題を孕ませています。喫煙をめぐる闘い、小児性愛、テロリズム、子どもを天使と見る過剰な扱い、メディアスクラム・・・。よくもまぁこれだけ盛り込んで破綻させなかったなぁと驚きました。

弱き者を愛でるのは素晴らしいことですが、何事も過剰にしてはいけませんね。放置もいけないが、過保護もいけない。義務を遂行することも忘れ、権利だけを主張する俗物と成り下がった「自称正義の弱者」ほど厄介な存在はありません。

一応、この小説の舞台は架空の世界のようです。しかし読み終えた後、これをフィクションだと言い切れる人はいないんじゃないでしょうか。

たかが煙草を吸ったくらいで・・・とシニカルに嗤うそこのあなた。正義感の強い子どもが、あなたがマナー悪く煙草を吸う瞬間を近くで見ているかもしれませんよ。

子どもたちが見ている

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