【書評】『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』やっぱり、人は人を諦めきれない。

エンジェルフライト

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葬式なんていらない・・・と思っていました

2010年に出版された島田裕巳著『葬式は、いらない』という新書がベストセラーになったことで、日本人の死者を弔う感覚が変わりつつあることが話題となったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。いろいろと理由はありますが、冠婚葬祭に関するビジネスの「あってないような相場感」に疑問を抱く人が増えたからではないかとも言われています。

考えてみれば、もはや檀家制度の成立しない地域も増えていますし、ありがたい(といわれる)戒名をつけるだけで多額のお金を納めなければならないのがバカらしいと思うのも無理はありません。実際私もそう思っていましたし、自分が死んだときも大げさな葬儀なんて要らないし極力お金を掛けないでシンプルに済ませてほしいと思っていました。

葬式なんていらない?

そういった感覚に変化があったのは、2011年に起きた東日本大震災。理不尽な自然の暴力に、為す術もなく命を失った方・行方不明となった方は18,000人を超えました。予想だにしなかったこの災害を体験し、思考停止に陥りそうなほどの絶望を目の当たりにしてしまった私が思ったのは、「せめて安らかに眠ってほしい」という鎮魂の念でした。要するに、今までその存在すら疑問視していたお経をあげることや葬式をとり行うことに意味を感じ始めたということです。

エンジェルフライト=国際霊柩送還士とは

ここ数年で「死」の捉え方に大きな変化があった中、「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」という本を読みました。多くの人にとって、聞き慣れないどころか、聞いたことすらない職業でしょう。

空

国際霊柩送還士とは、海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨、遺灰などを日本に搬送したり、逆に日本で亡くなった外国人の遺体・遺骨・遺灰を祖国に送り届けることを仕事としています。日本で最初に設立された国際霊柩送還士の専門会社“エアハース・インターナショナル”の仕事について、この本では描かれています。

ちなみにこの「国際霊柩送還」という言葉はエアハース社の登録商標であるため、正確には職業名ではありません。しかしこの特殊な仕事を手がける会社は他に少なく、現在これに代わる言葉は存在しません。この仕事の歴史はまだ浅く、エアハーズが日本に誕生したのは2003年のこと。以前は葬儀会社がこの仕事を受け持っていたそうです。

海外で命を落とすということ

この本の著者・フリーライターの佐々涼子さんは、日本で亡くなった外国人の遺体はどうなるのか、海外で亡くなった日本人の場合はどうなのか、という疑問を抱いたことから、エアハース社の取材を始めたとのことです。

確かに考えてみれば、異国の地でもし私が命を落としたら、自分の体はどうやって日本に運ばれるんだろう?と疑問が浮かびます。「日本以外で死ぬ」と考えたことがなかったんですね。グローバル化が進んで、島国の日本にも多くの外国人が訪れるとともに、日本人も海外で働くことを希望する人が増えてきました。「どこで生きるか」に関してのグローバル化も急速に進んでいるように思います。

しかし「どこで生きるか」は自由だとしても、「どこで死ぬか」について想いを巡らせることは、あまりないかもしれません。死ぬ場所で問題になってくるのは、その土地土地の信仰や風習、そして個人が持つ死生観です。

彼岸花

日本では遺体処置の99%が火葬(荼毘に付す)と言われています。そして、遺骨を骨壷に納め、それを墓に鎮めるのがごく一般的な方法ではないでしょうか。しかしそれはあくまで日本ならではの慣習に過ぎません。

海外では遺体を火にかけることを禁じている国もあれば、土葬や鳥葬、エンバーミング(死体防腐処置)すら認められない国もあります。そして日本ならではの慣習を世界中が認識しているわけではない以上、異国の地で亡くなるということは、その遺体が日本人にとってのまともな状態で還ってくる保証はどこにもありません。

治安の悪い国では、身ぐるみ剥がされた上に臓器まで盗まれることだってあります。泉地になることもありますし、単純に事故に遭って亡くなることもあるでしょう。遺体がキレイなまま戻ってこない可能性は十分にあります。

しかも島国の日本では国際送還の発展が非常に遅れています。陸続きの国では、異国の地で亡くなった際の遺体の送還ルートが予め決められていたりするところもあるのですが、閉鎖的な島国だったことが国際送還技術の発展を妨げてしまったのかもしれませんね。

弔うことの意味

国際霊柩送還士の仕事は前述のとおり、海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨、遺灰などを日本に搬送したり、逆に日本で亡くなった外国人の遺体・遺骨・遺灰を祖国に送り届けること。ですが、単純に遺体を運んでお終いではありません。

遺体が日本に還ってくるということは、日本で遺体を待っている人がいるということ。その人たちが望むのは、決して打ち捨てられたままの遺体ではないでしょう。できることならば、生前のままの姿でもう一度会いたいと思うもの。

国際霊柩送還士は、遺族にきちんとお別れをしてもらうため、遺体を生前と変わらぬ姿に修復します。解剖痕が残っていたら消し、欠損している部分は特製の素材で補います。顔色を化粧で直し、口元には微笑みを浮かべさせることもあります。大事なのは、過剰に美化しないこと。パスポートに写った写真などを元に、あくまで生前のままの姿に戻すのです。

東日本大震災では多くの死者とともに、亡骸すら見つからず行方不明となっている方も多くいらっしゃいます。人は、遺体を前に、きちんとお別れをしないと、その死を受け入れられないのかもしれません。どこそこで亡くなったと聞いても、実際に目で確認できなければ「ひょっとするとどこかで・・・」と思ってしまってもおかしくありません。

化粧

最初は、なぜ翌日には荼毘に付される遺体をそこまで修復する必要があるんだろうかと思っていました。もし自分が亡くなった側の人間だったらどう思うだろう、なんて考えもしました。生きている人たちを悲しませたくないから、すぐにでも荼毘に付してくれと思うかもしれません。

でも、そうじゃないんです。

国際霊柩送還士たちが遺体を修復して生前のままに戻すのは、生き残った側の人たちのためなのです。お別れの際にしこりを残してはならない。生き残った人たちは、きちんとお別れを済まさなければ先に進めない。そして、いつまでもその死を受け入れることができない。

だから遺体を修復するのです。

乱暴な言い方かもしれませんが、この世界は生きている者の力で動いています。決して死者によってではありません。生き残った人は、亡くなった方の分まで生きなければなりません。だから、きちんとお別れを済ませた後は、前を向いて生きてほしい。そのために国際霊柩送還士は存在している。

私は、心が震え涙が止まらないこのノンフィクションを読んで、そう受け取りました。

最後に

東日本大震災で変貌した自分の死生観に、この本を読んだことで更なる項目が追加されました。

それは、「一般論で語る尊厳死には、何の信ぴょう性も価値もない」ということ。

物語後半に、著者・佐々さん自身が体験した尊厳死に関する物語があります。佐々さんの母親が病で床に伏せる中、「胃ろう」をつけるかどうかのくだりで、元々尊厳死を疑いようもなく賛成していた佐々さんは、弱っていく母親を目の当たりにする内に考えを変えました。

胃ろうをつければ母親は楽になるのに、どうしたら付けないという選択ができるのか。そう思うようになったそうです。それに対して、知識人と呼ばれている佐々さんの知り合いはこう言いました。

「胃ろうをつけたの?お母様かわいそうに。そこまでして生きていたいと思うかしら?」

この言葉に怒りを覚えた自分に驚きました。なぜなら、私は元々この知識人のように考えていたからです。

考えてみれば、「なぜ私の母の思いを勝手に代弁されないといけないのか」と憤って然るべきですね。どうあっても生きていてほしいと願う気持ちが、決して間違っているとは思えなくなりました。少なくとも一般論で語る尊厳死には、何の信ぴょう性も価値もないことはわかりましたね。

日本人は何かと死を忌避しがちなところがありますが、世の中にはここまで死と密接に関わりながら生の息吹を与える仕事があるということを知ってほしいと思います。死は誰にでも訪れるもの。見ないふりをせず、寄り添って生きていくのが正しいのかもしれませんね。

生きる


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