【書評】吉田修一『怒り』 人は何をもって他人を信用するのか、また、信用を失うのか

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あらすじ

東京郊外で夫婦二人が惨殺される凄惨な事件が起こる。

現場となった夫婦宅には、被害者の血で書かれた文字が遺されていた。
「怒」という、一文字が。

怒り

多く残された遺留品を元に、加害者は山神一也という人物であると特定された。しかし警察は足取りをつかめないまま、1年が経過した。そして、テレビで情報提供を呼びかけたことをきっかけに、日本全国に3名の山神と思われる人物が特定される。3名はいずれも身元不明だった。

彼らはそれぞれ事情を抱えていたが、うまく生きられないながらに周囲の人たちとコミュニケーションをとり、少しずつ自分なりの生活を営んでいた。働き口を見つけ、恋人を見つけ、それぞれが新しい生活を始めようとしていた。

そんなとき、テレビで全国に指名手配されている山神一也という男についての情報を知った彼らの周りの人たちは、身元不明でどこか山神一也と共通点のある彼らを疑い始める。「ひょっとするとあいつは殺人犯なのかもしれない。」

果たして山神一也はこの中にいるのだろうか?そもそも、山神一也などという人物は存在するのだろうか・・・?

人は何をもって、他人を信用するのか

この物語は、3人の山神一也らしき人物と、彼らを取り巻く人たちとの関係を描く群像劇です。互いに関係性があるのか、そもそも時系列はどうなっているのか、よくわからないままに物語は進んでいきます。

主な視点は3組。

・病名は不明だが何らかの障害を抱えている不安定な娘と、その娘をどこか信用できないまま一緒に暮らしている父親とその周辺

・仕事、プライベート共に好調に過ごしながらも、自分がゲイであることを公表できないまま生きる会社員とその周辺

・自堕落な母親を持ち、不本意ながら日本中を点々とさせられている女子高生と男友達、そしてその周辺

この3組の前に、身元不明の男が現れたことから物語は動き始めます。

こういったあらすじを読んで思うのは、「山神一也はこの3人の内、一体誰なんだろう?」「ひょっとすると時系列がずれていて、全員が山神一也なんじゃないだろうか?」という謎解きに関してでしょう。ミステリー小説なのですからそう思って然るべきですよね。

疑惑

しかし本質はそこにありません。さらに言うと冒頭の殺人事件の謎すらも本質ではありません。そもそも犯人探しをすることが目的の物語ではないのです。「誰が犯人なのか」ではなく、「この3人をどうして犯人だと思ったのか」についてが重要なのです。

私たちは、何をもって他人を信用するのでしょうか。
肩書き?役割?見た目?・・・きっとどれも正解です。

明確にこれがOKなら信用するなどという基準は持ち合わせておらず、日々過ごす中で、あいつは挨拶ができるからとかいつも笑顔だからなど、大した理由もなしに信用してしまったりするものなんでしょう。というか、日々「どうすれば信用できるか」なんてことを考えていては頭がパンクしていますね。

その中でも、おそらく一番信用に値するものは、その人の「過去」にあるのではないでしょうか。

名前も過去も、消して生きることのできない国

3人の山神一也らしき男は、過去を語りたがりません。それどころか名前すら偽っています。話が進むにつれ、なぜ過去を隠しているのか、なぜ名前を偽っているのかについて少しづつ語られてはいきますが、いくら隣人とそれなりに上手くコミュニケーションを取っていても、ふとした瞬間に疑いを向けてしまうことがあります。

それはなぜか。

素性がわからないからです。

「過去を隠しているのは、何か悪いことをしたからに違いない」
「名前を偽っているのは、何か悪いことをしたからに違いない」

そんな疑いを、真っ向から浴びてしまうのです。

人間生きていればつらいこともある。もう、何もかもが嫌になって逃げ出したくなることもある。生まれ変わって、新しい人生を生きたい。

そう思ったことのある人もいるはずです。

何か言いたくない事情を抱えた人を見たとき、「そういうこともあるよね」という優しく見守ってあげたい気持ちと、「何か悪いことをして逃げているのでは・・・?」という疑いの眼差しを、同時に送ってしまうのが人間なのかもしれません。

名前も過去も消して生きる・・・

物語の中で、保険証がないから病院に行けないというくだりがあります。

この国では過去や名前を消して生きることは非常に困難です。身分を明らかにしなければ、多くのサービスを享受することはできません。生き方に透明性が求められているのです。

自分で選んだわけでもないのにつらい人生を送らなければならないとき、逃げるのはそんなにいけないことなのでしょうか。生まれが平等でないのだから、普通であることを誰しもに求めるのは間違っているのではないでしょうか。

そんなことを思いつつも、もし自分の周りに身元不明の人間が現れたらどうするだろう。私はきっと、折にふれて疑ってしまうのではないかと思います。

現に私は、山神一也らしきこの3人を、全員疑っていましたから。

人間とは、なんと理解しかねる生き物なのか

山神一也らしき3人に訪れる結末は様々です。幸せを目指せそうな者もいれば、哀しく散っていく者もおり、素性を明かせない生き方のつらさをひしひしと感じます。

おもしろいのは「信じてもらえなかった」のに幸せを得ることができたり、「信じてもらえた」のに散っていくことになったりと、信用の可否が人生を決めているわけでもないところですね。

人を信じるとはなんと難しいことなのか、永遠の命題を著者・吉田修一は残酷に突きつけてきます。思えば「悪人」「さよなら渓谷」といった代表作にも、信用することの難しさが練り込まれていました。

簡単に信用してしまえるクセに、その信用を簡単に反故にしてしまえる人間とは、なんと理解しかねる生き物なのか。吉田修一の本を読むと、いつも人間について考えさせられます。

信用

追記:
この本は、市橋達也によるリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件にインスピレーションを受けて執筆されたそうです。確かに整形手術や沖縄での離島生活、建設現場での仕事などの逃亡生活は本書にも描かれており、あの事件を彷彿とさせますね。

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