【書評】貫井徳郎『乱反射』 人間は全て、何かしら犯罪の片棒を担いでいる

乱反射

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乱反射【らんはんしゃ】

物体の表面に光の波長程度の小さな凹凸がたくさんあるとき,光がこれに当たってさまざまな方向に反射されること。いろいろな方向から目で物体を確認できるのは乱反射による。

百科事典マイペディアより

人間全てが何かしら犯罪の片棒を担いでいる

原因は、必ずしもひとつであるとは限らない。むしろひとつである方が稀である。

頭の中ではそう思っていても、いざ自分や身の回りの人が理不尽な目にあったりすると、明確な悪=犯人を探してしまうもの。なぜなら、怒りや憤りのぶつけ先がなくなってしまうから。

交通事故で例えるとわかりやすいかもしれません。対面事故に遭ったのなら、どちらに否があるにしろ原因究明は比較的しやすいと考えられます。居眠り運転だったとしても、飲酒運転だったとしても、よそ見運転だったとしても、その行為自体に問題があったのなら責任を問うこともできるし、法に則って裁いてもらうこともできる。決して悲しみや怒りが消えるわけではありませんが、区切りをつけることができるかもしれません。

ベビーカー

しかし、それが不運な事故だったらどうでしょうか。

例えばある風の強い日にベビーカーを押して歩いているとして、突如吹き付ける突風から身を守ろうとした瞬間、根腐れしていた街路樹が倒れてきてベビーカーを押し潰したとしたら・・・。

そんな不運な事故の原因が、複数の人間が大した悪意もなく行なった、あるモラルに欠ける行為から発生したことを知ったとしたら・・・。

この小説には、「人間全てが何かしらの犯罪の片棒を担いでいるのだ!」と突きつけてくる、非常に恐ろしい物語が描かれています。

カウントダウンで始まる物語

地方都市に住む幼児が、ある事故に巻き込まれる。原因の真相を追う新聞記者の父親が突き止めたのは、誰にでも心当たりのある、小さな罪の連続だった。決して法で裁けない「殺人」に、残された家族は沈黙するしかないのか?

第63回日本推理小説作家協会賞受賞作

−−−本書裏表紙より−−−

小説を読み始め、最初に目に入る意味深な番号に嫌な予感がしました。

『−44』

普通小説は章立てで進んでいくものですので、数字はカウントアップしていくことが多いと思いますが、マイナスから始まるとは一体・・・?その妙な不安はおそらく的中します。

読み進めるごとに数字は増えていきます。−43、−42、−41、−40・・・。この数字がゼロになるとき、何かが起こる。誰もがそう思うでしょう。これはプロローグの1行目で示されることなのでネタバレではないとして紹介すると、物語のメインとなる家族の2歳になる息子が不運な事故に遭って亡くなります。

その事故が描かれるのが『0』

その後も物語は続き、この数字はカウントアップを始めます。1、2、3、4・・・。ここからは子どもを亡くした新聞記者の父親が、真犯人を探す物語へと変わります。

この男の子は、明確な悪意や殺意を持って誰かに殺されたわけではありません。舞台を見ればわかる通り、不運な事故でしかありません。しかし、これは「殺人事件」でもあったのです。

「小さな罪」の正体

※ここからはネタバレ覚悟でお読みください!

数字のカウントトップとともに、物語の視点は移り変わります。語り手となるのは、取り立ててこれといった魅力のない平凡な人ばかり。それが良い悪いではなく、どこにでもいる人間ばかりであることがこの物語の結末を重くしています。そう、簡単に自分と置き換えることができるからです。語り手について紹介しておきましょう。

    ・置いておくと腐臭を発するであろう生ゴミを仕方なくサービスエリアのゴミ箱に捨ててしまう家族

    ・街路樹の伐採は環境破壊につながると、立場の強さを利用して伐採をやめろと市職員にクレームをつける主婦

    ・定年退職後、家に居場所を無くし、救いを求めて飼い始めた犬のフンを腰が痛いからという理由で始末しない老人

    ・責任を負うのが嫌でアルバイトとしてしか働かず、救急要請も平気で断ってしまう当直医

    ・夜間の救急外来は空いていて待ち時間がないことを知り、体調を崩すたびに救急外来を領する大学生

    ・犬のフンを拾うために公務員になったんじゃないと、仕事を途中で投げ出した市の職員

    ・夜間診療が空いていることを教えてもらったので、これはいいと友人に情報をまき散らした女子大生

    ・極度の潔癖症を患い、不潔なものに全く触れられなくなったことを隠して生きる造園業者

    ・運転能力に欠けているにも関わらず、頼まれたら断れないことを理由に車を運転し続ける女性

本当はもっと登場人物がいるのですが、表立ったものだけをピックアップしてみました。

どうでしょう。どれもが大したことではないですよね。本当は悪いことだとわかっているけれど、それには目を瞑ってこっそりするような「小さな罪」。誰にでも何かしらの経験があるんじゃないでしょうか。正直、私にもあります。

しかしそんな「小さな罪」が積み重なることで、ある2歳の男の子の命を奪ってしまう事故が起こってしまいました。

ルール

腰が痛くて屈むことのできない老人は、悪いとは思っていたが街路樹の下にした飼い犬のフンを始末しなかった。市の職員はそのフンを始末しに向かったが、通りがかった子どもに「あんな仕事はしたくない」とバカにされたことで憤り、フンの始末を怠って帰った。造園業者が木の点検を行おうとしたが、フンの不潔さで近寄れずその木の点検を怠った。実は根腐れしていたのがその木で、運悪く強風で倒れてしまった木の下敷きになったのが2歳の男の子だった。そしてその街路樹は、ある主婦たちが伐採に反対していた内の1本だった。

連鎖はまだ続きます。

事故は起こったが、子どもはまだ息をしていた。すぐに救急車を呼んだが、近くの病院は緊急外来が患者で溢れていることと、当直医師に内科医しかいないことを理由に要請を断った。仕方なく救急車は別の病院に向かおうとするが、普段渋滞しない道が長時間ふさがってしまっている。原因は、運転能力に欠ける女性ドライバーが車庫入れをうまくできなかったことに焦りを覚え、道路の真ん中に車を放置したまま逃げ出したことによるものだった。

それぞれの人間が起こしたことは、言わばマナー違反のようなもの。罪に問うことは到底無理なレベルです。確かにモラルに欠けているとは思うものの、自分に置き換えてみたらとても責めることのできないような「小さな罪」に過ぎないのです。

因果応報

新聞記者である被害者の父親は、事故の原因を突き止めようと走りだしました。その結果、「小さな罪」を働いた人たちに接触します。しかし彼らは一様に怒りを露わにし、決して謝ろうとはしませんでした(一部例外はいます)。

自分のした「小さな罪」が人を殺すきっかけになったとは認めたくない。そう思うのも無理はないでしょう。それが直接の原因でないとしたら尚更です。罪を静かに認めたのは、倒木事故のもっとも近いところにいた造園業者だけでした。もちろん業者に何かしらの責任は発生します。ですが、業者だけが悪い事件ではなかったのも事実。

仕事柄、警察に頼っても仕方ないことを知っている新聞記者は、自分の足で真実を探りますが、その先にあるのは絶望でした。自分の罪を認めようとはしない人たちばかりで、彼の心は崩壊に向かいます。

ゴミ

しかし、コンビニでおにぎりとウーロン茶を買い、おにぎりの包装紙をゴミ箱に入れようとした瞬間に思い出したのです。彼が妻と2歳の息子を連れて遊びに行こうとしたとき、しばらく家を離れることで捨てられなくなった生ゴミを、悪いとは思いつつも立ち寄ったサービスエリアのゴミ箱に捨ててしまったことを。

彼は咆哮しました。

自分もあの「小さな罪」を働いた人たちと同じだったのだと。被害者の親だから彼らを糾弾できると思っていたが、自分に他人を糾弾できる資格などないことに気づいてしまったのです。

「・・・おれだったのか。おれが健太を殺したのか。」

気持ちの整理は自分でつけるもの

物語の終盤、ある刑事とのやりとりで、新聞記者は意識を変えました。その刑事は単純な交通事故で娘を亡くしたことがありました。それを元に、新聞記者にこう言います。

「子どもを喪ったりしたら、気持ちの整理なんかつかないですよ。時間が経てば気持ちの整理がつくなんて、そんなことはあり得ないんです。気持ちの整理は、自分でつけるものなんです。待ってたって、いつまで経っても整理なんかつかないんです。」

与那国島

よく、時間が全てを洗い流してくれる、なんて言いますよね。私はそれを信じていません。薄くなっていくことはあっても、決してゼロにはならないのだと思っています。

時間の経過をともに必要なのは、自分の意思です。その喪失感は一生消えることはないと理解しつつ、ここまではやると決めたことに注力し、そしてある種の諦めを抱きつつ、ケリをつけることしかできないのではないでしょうか。

エピローグで示されたのは、そんな「再生」です。

私たちは日々、「小さな罪」を重ねて生きています。それはきっと、完全に防ぐことなどできない代物です。対抗できるのはただひとつ、日々を誠実に生きること。これに尽きるのではないでしょうか。

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