映画『ヴィオレッタ』 フレンチ・ロリータの新星は、狂気を孕むパンドラの匣をそっと開く

ヴィオレッタ

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フレンチ・ロリータの新星誕生

この物憂げで蠱惑的な瞳、妖艶な仕草、並外れた美貌、大人でも子どもでもない肢体・・・まさにブリジット・バルドージェーン・バーキンの再来といっても過言ではないでしょう。この映画で主演を務めた、当時10歳だったルーマニア生まれの少女の名前は「アナマリア・ヴァルトロメイ」

出品されたカンヌ映画祭で賞賛と非難の声が同時に上がった『ヴィオレッタ/(原題:My Little princess)』とはどんな映画だったのか。

まずはあらすじから紹介しましょう。

あらすじ

ヴィオレッタ

12歳の少女・ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は、元画家で今は売れない写真家を目指している母親のアンナ(イザベル・ユペール)とは離れて暮らし、今は曾祖母と平和に暮らしている。アンナの稼ぎは思わしくなく、3人は日々の暮らしにすら困窮していた。

ある日アンナの居室に招かれたヴィオレッタは、妖しげな家具や溢れんばかりの鏡に囲まれたその部屋で写真を撮られることになる。ドレスやアクセサリーなどで着飾られたヴィオレッタは、普段あまり関わることのない母親に遊んでもらっているような感覚に陥り、アンナが求める扇情的なポーズや仕草を言われるがままにとり続けていた。

ヴィオレッタ

学校での授業中もポーズの練習を怠らないヴィオレッタを、アンナは画家エルンストのアトリエに連れて行く。アンナの写真を見たエルンストは「絵より写真の方に才能がある。」と助言し、それに歓喜するアンナ。ヴィオレッタはその仲睦まじい姿に不快感を抱き、エルンストの絵に落書きをして逃げた。

アンナの撮影はエスカレートし、ヴィオレッタの衣装はどんどん妖しさを増していく。スパンコールにレオタード、ガーターベルト、真っ赤なルージュ、ドクロ、不気味な人形・・・終いにはヴィオレッタの脚を開かせ、もはや写真はポルノの様相を呈していった。

アンナの写真は新進気鋭のアーティストとして売り出すのに十分な話題を呼び、個展も開かれ、写真は飛ぶように高値で売れ始める。そんな中、シド・ヴィシャスからのオファーを受けた母娘はロンドンに飛び、フォトセッションを行なった。シドに愛でられ気を良くしたヴィオレッタ。しかし翌日、アンナに服を脱いでシドにキスしなさいと指示されたヴィオレッタは憤慨し、撮影から逃げ出した。

母娘の関係に深い溝ができたのは、この瞬間からだった。

ヴィオレッタ

ヴィオレッタにとって心の拠り所だった曾祖母が亡くなり、学校ではヌードモデルと囃し立てられいじめられ、街を歩けば自分のポルノ写真が表紙を飾る男性誌を見かけるようになり、ヴィオレッタは孤独感を募らせる。

この頃からアンナの写真は倫理上の問題で物議を醸しだし、児童虐待であるとして親権を剥奪されそうになったアンナは弁護士に助けを求め、母と離れたいヴィオレッタの嫌悪感は限度を超えた・・・!

監督の実話を元に構成されたストーリー

エヴァ・イオネスコ監督自身、実の母である写真家のイリナ・イオネスコにより、4歳〜13歳の間、ヌードを含むモデルとして被写体を担っていました。このときの体験が「ヴィオレッタ」の元になっています。「Eva Ionesco」で検索をかけると、かなりきわどい写真がヒットするでしょう(職場などでの閲覧は推奨しません)。

このような体験が少女期のエヴァに影響を与えないはずもなく、自伝的な今作は、過去を客観的に見つめ、受け入れるために撮影される必要があったのかもしれません。

本国フランスでは全くのレイティングなしで公開されましたが、日本では当然スムーズに行くはずもなく、あわや日本未公開に終わる可能性も十分にあったといわれています。ヴィオレッタの裸は一切映っていないものの、シド・ヴィシャスと抱きあうように寝転びながらキスをするシーンなどが児童の性行為を連想させるという判断で、映画倫理委員会に2度の申請は突っぱねられました。

ヴィオレッタ

効果があったのは、配給元であるアンプラグドが映画ファンを対象とした試写会でのアンケート。結果児童ポルノにはあたらないとの評価を多く得た上で、エヴァの実体験に基づく劇中描写への配慮を訴えた結果、R15+(15歳未満鑑賞禁止)のレイティングにて公開許可がおりたそうです。

日本における映倫の厳しさはハンパではなく、ヴィオレッタのような非常に鑑賞意義のあるいろんな作品が日本で観られないのは惜しいことです。その辺の意図を映倫にはきっちり汲み取ってもらいたいものです。「けしからん!」で終わらせるのだけはやめてほしい。

大女優イザベル・ユペールの貫禄

ヴィオレッタの母親アンナ役を務めたのは、フランスが誇る大女優イザベル・ユペール。映画『ヴィオレッタ』をすばらしいものに仕上げた功労者は彼女にあります。正直、ヴィオレッタ自体の演技なんてどうでもいいんです。ヴィオレッタはそこに存在するだけで十分。でもそれに神秘性を持たせるためには、アンナ役の力が必要。イザベルの自然に狂った演技は、完璧でした。

アンナは残念な女です。自分には何の才能もないことを知っていながら、自分は特別であらなければならないと盲信していたのですから。劇中、普通の友だちと普通に遊びたいヴィオレッタを何度もなじります。「私たちは特別なんだから!」と。

ヴィオレッタ

なぜそんなに平凡であることを嫌うのか。なぜそこまで芸術に固執するのか。物語の後半でその秘密が明かされるのですが、アンナが自分の存在意義を保つために「私は特別なんだ、芸術的な人間なんだ、決して惨めな人間ではないんだ!」と思い込まなければならない理由を知ったとき、あなたは少しアンナに寄り添いたくなるかもしれません。

アンナは自然に狂っていました。傍目からは芸術家肌の人間に見えていたかもしれませんが、内側は完全に壊れていたんですね。この毛嫌いされるような難役をこなしたイザベルは、本当に凄い。

眼で楽しむヴィオレッタ

ヴィオレッタ

華やかさから陰鬱さへの急落を遂げるこの映画、ストーリーは鬱々としていますが、アナマリア演じるヴィオレッタの美しさに引き込まれてしまえば、あっという間に観終わってしまうでしょう。

陳腐な言葉しか出てこないのが歯がゆいですが、本当に美しいんです、ヴィオレッタは。開けなくてよかった禁断の扉をわざわざ開けてしまうことになるかもしれませんが、このパンドラの匣を開けずにはいられない、それが人間というものではないかと思います。

10歳という年齢は十分に子どもですが、早熟なヴィオレッタが醸し出す、大人でも子どもでもない美しさ・・・それは手を触れてはいけないもの。遠くから愛でる、それくらいの塩梅で留めておかないと、その妖しげな魅力に取り込まれてしまえば人は、たやすく狂ってしまえるのではないでしょうか。

自分の中にある、このフレンチ・ロリータを美しいと感じる心にフタをするのは危険です。美しいものは、ただ愛でればいいんです。感じてしまったものは仕方ないじゃないですか。素直に認めましょう、ヴィオレッタは美しいと。
ヴィオレッタ


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