母は「母」である前に「ひとりの人間」であるということ、そして母性神話のウソ

母性神話のウソ

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母は「母」である前に、ひとりの「人間」であるということ

みなさんは「母親」を愛していますか?
尊敬していますか?

私は愛していますし、尊敬しています。

しかし、同時に「それは違うだろう」と否定的に思うところもあります。

これって異常なことでしょうか。

私の母は、世間一般的から見てもよくできた母親だと思います。息子がどの口で言っているんだという話ですが、とても素晴らしい母親だと心から思っています。それでも、「母のここは認められない」と思うことはよくあります。

学校でよく書かされる「尊敬する人」という作文や、女性芸能人がよくテレビ番組で「尊敬している人は」と聞かれて答える言葉は、大抵「親」それも「母親」であることが多いと思います。それ自体は微笑ましいものだと思うのですが、自分の両親が必ずしも「全面的に尊敬できる人」であるかどうかは別問題だと考えています。

日本人に根深く染み付いた儒教精神に基づく限り、子どもは親を敬わなければなりません。親不孝はもっとも重い罪とされています。しかし、子不幸という言葉はありません。不思議ですよね。

思えば昔、尊属殺人という罪が日本にありました。これは祖父母・両親・おじ・おばなど親等上、父母と同列以上にある血族(尊属)を殺害することですが、通常の殺人に比べて罪が重くなるものでした(1973年に違憲判断)。しかし、親が子を殺しても、刑法上罪が通常の殺人より重くなることはありません。何でだろうと昔から不思議に思っていましたが、DNAにまで染み付いた儒教精神によるものなのかなと、ふと思いました。

母に限らず親だってただの人間に過ぎないのですから、すべてにおいて尊敬のできる人間でないことは当たり前。自分を産み、育ててくれたことに感謝しているとしても、だからといって盲目的に尊敬しなければならないとは思えません。ある意味では、反面教師にしなければならない部分もあるでしょう。

日本では、なかなかその考え方を育む環境にないような気がしますね。それが「子と親」、特に「娘と母」の関係を機能不全にしてしまっているように思います。

母性神話のウソ

母は神ではない
母親といえば、よく言われるのが『母性神話』

子育て(「母性神話」)
「母性神話」とは、「女性にはもともと、母性が備わっている」とか、「子どもを産めば、自動的に母性がわいてきて、自然に子どもの世話をしたくなる」というようなものです。

つまり、「女性にとっては母性は本能である」、そして本能であるがゆえに「女性は常に母性を感じている」ということなのでしょう。

この「母性神話」があるために、「ダメな母親だ…」と、母親が自分で自分を責めるだけでなく、夫、親やきょうだい、友だち、近所の人など、まわりの人から「母親のくせに」と非難されることもあります。

残念ながら、医者や看護師、保健師、カウンセラー、保育所や幼稚園の先生など、専門家と言われる人たちから言われることもあるようです。

私は男性なので、 「女性にはもともと、母性が備わっている」とか「子どもを産めば、自動的に母性がわいてきて、自然に子どもの世話をしたくなる」という本能的なものはよく分かりませんが、これがかなり危険な思想であることはよく分かります。

というのも、子どもを産んだものの「母性」というカタチのないものが自分の中に産まれてこず、母親失格であると自己否定に陥ってしまう友人・知人を度々見かけていたからなんですね。彼女達はそれぞれ真剣にそのことで悩んでおり、決して母親失格な人間ではありませんでした。

身の周りだけではなく、ニュースでもそういった報道がなされていることから、悩んでいる女性は多いんだろうと思っていました。

しかしこの「母性」と呼ばれるものは、現在では「本能」ではなく「学習」であるとされています。そもそも母性本能と呼ばれるものは、世間ではとてもひとりで生きていけないような社会的弱者(赤ちゃん)を守りたいと思うようなものですが、生まれつきほとんどの人の遺伝子に組み込まれていると言われています。しかも、男女関係なく。

こうなってくると、「母性」本能という名称自体に誤りがありますね。それどころか誤解されて伝播していくことになる。「母」には、徐々になっていくものであって、備わっているものではない。そう知ることで救われるのは、その母だけでなく、子どももそうでしょう。

上記のサイトから、もうひとつ引用させていただきます。

子育て(「母性神話」)
わたしたちは、本能があってそれを行動化するための条件が整っていても、いつも確実に行動に移すかというと、そういうわけでもないとは思いませんか。わたしたちは、本能のままに生きているわけではなく、それをすることをためらうようなものがあったり、先に延ばす理由があったりすると、本能に忠実に動くわけではありません。

現実のわたしたちは、子どものことをかわいいと思い、世話をしたくなるときもあるし、そうでないときもあります。

つまり、「最初から、いつもいつも愛情深く子どものことだけを考える母親」というのは、幻想でしかありません。ですから、自分やまわりの母親たちの誰かが、幻想の通りでないからといって、その母親を責める必要はないのです。

母は悩む

親だって自分とは違うただの人間だし、血がつながった子どもだって自分とは違う人間。「そうでなければならない」という神話(これはルールや規則、伝統、習慣とも言い換えられる)に縛られていると、人はがんじがらめになって身動きが取れず、否定的な方向に進んでしまいがち。

「親子」という切れない関係だとしても、無理に尊敬することはないし、無理に拒絶することもない。そう思えるだけでも、ずいぶんと楽になりませんか。盲目的に親を信仰するのはやめにしましょう。

…しかし、韓国や朝鮮に比べるとそこまで根深くないと思っていた儒教精神が、意外なところまで根を張っているものですね。


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