【書評】米澤穂信『ボトルネック』 自分が生まれなかった世界を知る、という絶望。

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ボトルネック

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瓶の首は細くなっていて、水の流れを妨げる。
そこから、システム全体の効率を上げる場合の妨げとなる部分のことを、ボトルネックと呼ぶ。

全体の向上のためには、まずボトルネックを排除しなければならない。

本のあらすじ

亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した……はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。
Amazonより

これはもはや「ホラー」だ!

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実はもう4回読んでいます。公式には青春ミステリの金字塔と銘打たれていますが、これは少し語弊があるんじゃないかと。この小説は明らかに、「SFテイストのホラー」ですから。

いわゆる怪物や幽霊の類が出てくるわけではありませんし、スプラッタなシーンがあるわけでもありません。凄惨な殺人事件が起こるわけでもありませんし、肉体的な痛みを伴うわけでもありません。

ただただ、精神をぶちのめしにやってくるんです。

もうやめてくれ、許してくれと懇願しても、容赦なく内面を抉ってくる。それでも読むのをやめられない。

自分が存在しないパラレルワールド

SF作品にパラレルワールド=並行世界という設定が盛り込まれるのはよくあること。むしろ定番といってもいいでしょう。本作もそうしたパラレルワールドに主人公・嵯峨野リョウが飛ばされることで物語が動き始めます。

人間誰しもifの物語について考えたことはあるはず。考えても詮無きこととわかっていても、「あのときこうしていたら…」と頭を抱えることだってあるのでは。ゲームじゃないのだから分岐点でセーブしておくことはできません。そんなifの先、最終的には「自分がもしこの世界に生まれていなかったら…?」にたどり着きます。

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そう、このボトルネックで描かれるのは「嵯峨野リョウが生まれなかった世界」。
ここからはリョウが元いた世界を【世界A】リョウが生まれなかった世界を【世界B】として解説していきます。

飛ばされたリョウが目を覚ましたのは、【世界A】と瓜二つな【世界B】。何か違和感を感じつつも自宅に帰ると、そこにはいるはずのない女性が住んでいました。名前は嵯峨野サキ。自分よりふたつ年上の高校生らしい。リョウに姉はいません。正確にはリョウが生まれる2年前に水子となった女児(ツユと命名された)がいましたが、当然生きてはいない。

些かのやりとりの後、どうやらサキは、その水子となったツユの生きていた場合の姿であることが、朧気ながらわかってきます。そしてこの世界でリョウは生まれていなかったことも判明します。さらに整合性を取っていくと、少なからず世界に違いがあることに気づきます。

【世界A】嵯峨野アキオ(父)・ハナエ(母)・ハジメ(兄)・リョウの4人家族。
物語冒頭で兄は死亡。両親の関係はすでに崩壊していて、世間体のために離婚しないでいるだけの状態。リョウは両親と折り合うことができず、家に居場所もなく、ただ無関心・無感動を決め込むことで漫然と日々を過ごしている。

【世界B】嵯峨野アキオ(父)・ハナエ(母)・ハジメ(兄)・サキの4人家族。
両親は夫婦水入らずで旅行に行っている程、関係は良好。サキとの関係も問題がないようだ。サキ自身は楽天家で明るく、気取らない性格。兄ハジメの存在はまだはっきりしていない。

あり得ない遭遇をしたリョウとサキは、姉弟喧嘩のような問答を繰り返しながら、次第に真相の究明に取りかかり始めます。

対照的なリョウとサキ

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陰鬱で無気力なリョウと、明朗活発で楽天家のサキ。噛み合わないふたりが折り合いをつけながら協力していくところは、確かに青春物語を彷彿とさせますね。

主人公が異世界にワープするという設定はありふれていますが、肝心の主人公があまりにも生きることに無関心であるため、元の世界に戻るために奮闘したり試行錯誤するありがちなシーンがありません。物語に動きを与えているのはサキで、彼女の奔放な言動とリョウのネガティブな言動が滑稽さを生み出し、陰鬱で辛気臭い物語をスムーズに読み進める潤滑油の役目を果たしています。

ヘタするとただ暗いだけの物語に華を添えるキャラクターの魅力。米澤作品には魅力的な登場人物が多いんです。本作でも、ネガティブまっしぐらなリョウにも引き寄せられるものがあり、魅力の塊のようなサキは言うに及ばず。物語を彩るサブキャラクターもしっかりキャラクタライズされており、明確に脳裏にそのイメージが湧くことでしょう。

この世界のボトルネックは何なんだ?

※ここからはネタバレあり
物語は中盤から一気に加速します。

リョウは飛ばされた【世界B】で過ごす中で、決定的な違いを目にします。【世界A】では非業の事故死を遂げた恋人・ノゾミが生きていたことに。本作をミステリたらしめているのは主にこの謎で、なぜ【世界B】ではノゾミが生きているのか、リョウは真実を求め奔走し始めました。

追い打ちをかけるように、リョウはもうひとつの大きな違いに出会います。【世界A】では死んだはずの兄ハジメが生きているという違い。

リョウはもう気づかないフリをしていられなくなった。

この【世界B】では、何もかもが自分の世界より好転していることに。

死んだはずの兄は生きていて、死んだはずのノゾミも生きていて、行きつけの食堂の親父さんは店を閉めずに元気でいるし、両親は仲良く旅行に行っている。そして物語でボトルネックとなるイチョウの木が切断されている

それでもリョウには、亡くした恋人ノゾミとの想い出がある。どれだけ自分の存在しない【世界B】の方が自分の世界より良くなっていたとしても、この想いがあるのなら生きていける。そう思っていた。

しかし、そのノゾミの真実の姿までサキに暴かれたリョウは、ついに自分の存在を理解する。「ああ、そうか。ぼくの存在がボトルネックだったんだ」と。記事の最初で引用したボトルネックの説明、最後の一文はこうなっている。

全体の向上のためには、まずボトルネックを排除しなければならない。

Shattered brown beer bottle

ラストシーンの解釈

もし自分が生まれてこなかったら、この世界はどうなっていたんだろう。人生の岐路に立たされたとき、つらい出来事があったとき、もう生きるのが嫌になったとき、そんなことを思うこともあるでしょう。

しかし、じゃあその生まれてこなかった世界を見に行けるとしたら、果たしてあなたは行くでしょうか?私は絶対に見たくありません。

もしもその世界が、現実よりも幸せそうだったら?

私には耐えられそうにありません。だってそれは、自分の存在を否定されているのと同じことだから。

リョウは、時間をかけて、じっくりと、その現実を突きつけられます。それも、自分と入れ違いに生まれたサキの言葉によって。

woman in depression and despair crying on black dark

このときの絶望は、リョウが冷静に心境を語るラストシーンで知ることができます。決して感情的になるわけでなく、サキに殴りかかるでもなく、しっかり咀嚼して自分の中で出した結論は、まさに絶望。

リョウが最終的に選んだ道は物語には描かれていません。どちらとも取れるラストシーン、あなたならどちらを選びますか。私は…全てを失ったリョウは、生きるのを諦めたのだと解釈しました。身を切るようなつらさを感じますが、この物語にハッピーエンドはありえない。私はそう思います。

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