“このマンガがすごい!2015”大賞は「聲の形(こえのかたち)」。少年誌と思えぬ描写に戦慄!

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このマンガがすごい!2015 オトコ編大賞は「聲の形」

毎年恒例のマンガランキング「このマンガがすごい!」。2015年度版が本日12月10日に発売されました。宝島社が刊行しているこの本は、ランクインした作品がその後ヒットしやすいと言われています。

2015年オトコ編の1位に輝いたのは、大今良時氏の「聲の形(こえのかたち)」
週刊少年マガジンに連載されているこのマンガは、短編読み切りから始まりました。主人公は聴覚障害者の西宮硝子と、彼女をいじめていた石田将也。障害者に対する壮絶ないじめの模様が容赦なく描写され、掲載にあたって波紋を呼んだことが記憶に新しいですね。

しかしこれほどまでに「聴覚障害者」のリアルを描いたマンガは到底見つからず、全日本ろうあ連盟から監修のお墨付きを貰うまでに信頼される作品となりました。

元々は読み切りマンガだった「聲の形」

ちなみにこのマンガは、最初の作品が2011年2月に「別冊少年マガジン」に掲載(45P)、続いてリメイクされた同作が「週刊少年マガジン」2013年12号(61P)に掲載されました。それぞれ物議を醸しましたが、多くのファンや障害を持つ方からの支援あって、「週刊少年マガジン」での連載が決まりました。

少年誌でここまで辛辣なテーマのマンガが連載されるのは、正直考えられないことでしょう。しかしこれが現実。単純なお涙頂戴に持っていかなかったことが決め手だったのかもしれません。ちなみにまさかのテレビアニメ化も決定しました。

現在連載されている「聲の形」も好きなのですが、私はリメイクされた61Pの短編バージョンが至高の出来だと思っています。たった61Pですが、これ以上にないくらい完璧な物語として存在しています。他には何もいらないと思うくらいに…。

その短編については旧ブログでレビューを書き、かなりのアクセスを集めました。現在刊行されているコミック版とは多少異なる部分があるため対応できないところもありますが、めでたく「このマンガがすごい!2015」大賞を受賞されたこともあり、そのレビューを再掲したいと思います。

週刊少年マガジン2013年12号掲載の読み切りマンガ、「聲の形(こえのかたち)」を読みました。

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2013年2月20日に発売された週刊少年マガジン12号に、読み切りとして掲載された「聲の形」というマンガが話題を集めています。

どれどれ読んでみようと約20年ぶりにマガジンを買ったのですが、掲載されているマンガがあまりに私の知っているマガジンとはかけ離れていて、少々驚きました。なんとなくヤンキー系のマンガが大半を占めていた記憶しかなかったので、「あれ、間違えてジャンプ買ったっけ?」と表紙を見返したくらい、両誌の違いを感じませんでしたね。そんな中で、まだ金田一少年の事件簿が連載されていることにホッとしたり。

さて、その問題の作品がコチラです。
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作者の大今良時先生は、つい最近まで別冊マガジンで”マルドゥック・スクランブル”という漫画を連載されていました。しかもまだ23歳(当時)、かつ女性。この「聲の形」を書いたのが19歳の時というから末恐ろしい筆力ですね。

数多くあるレビューを読み解く

「聲の形」についてはすでにネット界隈では大変話題になっており、レビューしているブログも数えきれないほどあります。今さら作品の外側をなぞるような紹介の仕方をしてもしょうがないので、すでに読まれている方を対象とした記事にしようと思います。

◆未読の方や全体を包括したレビューを読みたい方は、以下のブログがオススメです。
「聲の形」たとえばそんなメルヘン!
「差別」と「いじめ」が重なるマンガだった

◆ちなみに私の意向と同じく、踏み込んだ記事を書いているブログでオススメなのがコチラです。
「聲の形」と作者の大今良時先生について語ろうか

◆最後に、聴覚障害をもった方が「聲の形」についてまとめているtogetterがコチラです。
求めていたのは和解ではなく拒絶~普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形~

この作品について私なりに思うことは多々あるのですが、感情の揺れ幅が大きくなかなかコトバにできなかったため、上記のブログ等を参考にして、私なりに記事を書いてみました。

健常者側のみの視点で描かれる

まず、聴覚障害者である”西宮硝子”自身が語り手ではなく、男子生徒・石田を中心とした”健常者”の視点で「聲の形」は描かれています。ゆえに自分を含む健常者の、身近な障害者に向けて抱く感情の表現が非常にリアリティを持っています。怖いくらいに。

特にそれを感じたのは、担任の先生が合唱コンクールのシーンで発したこのコトバ。

「ったく 誰だよ こんな荷物寄こしたの・・・」

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なんてひどい先生なんだ!と怒りが噴き出すよりも先に、私は心苦しさを覚えました。それは、同じ立場なら自分もそういう気持ちを抱くかもしれないと、どこかで感じたからでした。

作品中、西宮硝子の思考や気持ちは一切描かれず、ある種のハッピーエンドを迎えるラストも含めて、西宮硝子の真意は知る由もありません。それがまた考えさせられるところです。

よく、「障害者の気持ちになって考えてみろ!」なんて声高々に言う方がいますよね。これは、子どもを対象とした殺人事件が起きたとき等に「殺された子の、親の気持ちを考えてみろ!」と、何の関係もない人が偉そうに言っているのと同じで、結局のところ、所詮その人の本当の気持ちは、その人にしかわからないんです。

もちろん察することはできますし、その人の気持ちを想像すると胸が痛い、というのも分かります。ただ、「そうに決まっている!」と断言することは、本人以外はできません。そういったことから考えると、西宮硝子側の視点を描かなかったのは英断のように感じました。

無論、作者である大今良時先生がどう考えていたか私には分かりませんが、「分からないなら、描かない」と思ってこのような仕立てにしたのであれば、それはすばらしいことだと思います。私の好きな”ハチドリのひとしずく”の一説のように、「私は、私にできることをしているだけ」というスタンスであるように感じ取りました。

さて、この作品について多くのレビューが各所でなされていますが、それだけに賛否両論の意見が交わされており、非常に興味深いです。

否定派の唱える3つの問題点

否定的な方の意見に目を通すと、主に以下の3点が問題点として挙げられているように思いましたので、それぞれについて考えてみたいと思います。

※その前に、無駄な議論を避けるため、念のため私のスタンスを書いておきます。

”私は道徳的に非常にすばらしいマンガだと思っており、学校での道徳の教材に使ってもいいんじゃないかと考えています。

この読み切りを読んで連載してほしいとの声もあるようですが、私自身はこの読み切り61ページですでに完璧な作品として仕上がっているので、何の編集も必要としないし、後日談・前日談を描く必要もないと思っています。

また、多くの読者を抱える少年誌である週刊少年マガジンに、61ページもの読み切りとして、聴覚障害者を扱った作品が掲載されたこと自体がすでに事件であり、今後内容について様々な影響を及ぼしていくことは、障害者に対する考え方、道徳的なものの見方を養うにあたって、非常に有益であると強く思います。”

それではその3点についてですが、

①西宮硝子が完全な善人として描かれていること。
②西宮硝子が可愛らしい容姿で描かれていること。
③西宮硝子が、いじめてきた相手に対しても真摯に接していること。

が、よく議論の的になっていると感じました。

①について考える際に、乙武洋匡さんのツイッターで興味深い記事に出会いました。それはこんな記事です。

——————————–
義足のランナー、オスカー・ピストリウスの逮捕に思う
《抜粋》
6.僕は「同じ障害者だから」「彼の功績は偉大だから」という理由で、盲目的に彼を擁護するつもりはない。今後の捜査の進展を、慎重に見守っていくつもりだ。だが、たとえ彼の容疑が確定したとしても、ピストリウス選手が殺人を犯していたとしても、それは示唆に富んだ事例になるだろうと思っている。

7.彼らは清らかな存在で、けっして悪いことなど考えるはずがない――『五体不満足』出版以来、僕もこうしたステレオタイプな障害者観に苦しみ、窮屈な思いをしてきた。もしも、ピストリウス選手が殺人を犯し、筋肉増強剤を使用していたとなれば、そうした障害者観に大きなヒビを入れることになる。

9.障害者にだって、飲んべえや、エロや、ろくでなしもいる。肉体というものは、言ってみれば“容器”なのだ。その中にどんな中身が詰まっているかなんて、開けてみなければわからない。その容器だけを見て、蔑んだり、期待したり――それがいかにバカバカしいことか、僕らはそろそろ気づくべきだ。
——————————–

何と考えさせられるコトバなのでしょうか。小説やマンガなどの創作物にありがちですが、健常者が「悪」で、障害者が「善」という構図の多いこと多いこと・・・。障害者だって結局は人間なのですから、この構図が筋違いなことは明白です(風潮として、”障害者を悪く言ってはいけない”という考えが根底にあるのかもしれませんね)。

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西宮硝子は記号でしかない

西宮硝子は「善」の塊のように描かれています。しかし、私は不思議と問題があるようには思いませんでした。というのは、このマンガにおいて西宮硝子のキャラクターはさして重要ではないように思うからです。

言うならば記号。視点が健常者であり、その健常者である石田が率先して西宮硝子をいじめ、あることをきっかけに今度はいじめられる側に回り、それがきっかけで西宮硝子のことを分からないなりに理解する、という構図は結局のところ変わらないと思います。

これはあくまで、”少年誌に掲載された61ページの読み切りマンガで伝えられる道徳”と捉えた上での解釈ですが。これが、この読み切りを”完璧な作品”と捉えた理由でもあります。

②は、①と関わってくることですが結局のところあまり関係ないと考えます。もちろん直視するのも厳しいほどの醜悪な顔、などの描画であれば話は変わってくると思いますが、可愛らしい女の子であることは短編マンガで読者を惹きつけるための道具に過ぎず、このマンガが世間の無関心に火を灯そうとしている構図そのものに深く関係するものではない、というのが私の印象です。

相手を許せるかどうかは、人それぞれ

③も上記と同じく、短編で話をまとめるためにとった有効な手段であると考えれば、特に問題は感じません。私個人の感覚でいえば、理解するのが一番難しかったのはこの③でした。

というのも、中学生の頃、いじめにあった経験があったからです。

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一概に言えることではないのは承知で言うと、私はいじめてきた相手を一生涯許す気持ちにはなれません。今でも名前は覚えていますし、自損事故でも起こして死んでいればいいのにと思っていたりもします。自分で恨みを晴らそうとまでは考えていませんが、この世の不幸を全てかぶって、死ぬより辛い思いをすればいいのにと今でも願っています

ブログのトラックバックを読んでいると、いじめてきた相手と今では友達になった人や、話し合うことで解決した人等、いろんな人がいました。ひとつの答えがあることではありませんし、③もひとつのパターンとして許容できれば、特に問題はないと思うのですが、いかがでしょうか?

長々と文を連ねてきましたが、もっとこのマンガが「問題」になればいいのにと心から思います。人の数だけ答えはあると思いますが、こういった道徳的な問題に「無関心」であることが一番の問題だと感じますので、「聲の形」をひとつの教科書として、広めていきたい。

このブログを読んで「聲の形」に少しでも興味をもったら、ぜひ本編を読んでみてください。お願いします。



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