映画『少年は残酷な弓を射る』 母は無条件にわが子を愛することができるのか?

156970_01

スポンサーリンク
スポンサードリンク

この映画を理解するには、「想像力」が必要だ。

『少年は残酷な弓を射る』は2005年にオレンジ賞を受賞した小説が原作。映画化までにいざこざがあって遅れはしたものの、2011年に映画版は公開されました。主に批評家陣からすさまじい好評価を受け、主演女優のティルダ・スウィントンは8つの映画賞部門にノミネート、内4つの賞を受賞しています。
少年は残酷な弓を射る – Wikipedia

ホラーテイストがふんだんに盛り込まれたミステリー映画ですが、この映画はただのんびり観ているだけでは面白さを理解することはできないでしょう。というのも、一般的な映画ではスポットライトが当てられるであろう大きなイベント箇所が、とても曖昧に表現されているんです。

主要人物が関係する大事件について、犯行動機や犯行手順、被害者の数、被害者がその後どうなったのか、あらゆることがはっきりと読み取れません。

なぜ犯人が大事件を起こすに至ったのか、理解するにはきっと「想像力」が必要です。想像力を補ってくれる「何か」は映画中に散りばめられているので、数少ない登場人物の表情や発言、行動、思考をしっかりと観察していれば、きっと理解できます。

しかし、映画中で示されるものだけでは事件の全貌はわからないようにつくられているのも確か。はじめからパズルのピースはいくつか欠けた状態なんですね。決して完成しない。

この映画には、想像の余地が残されている

では、足りない部分はどうするのか。それは映画を観たひとりひとりが想像したものを当てはめていくしかありません。「きっとこういうことだったんだろう」。そう自分自身が納得することで、この映画は完成します。

ハリウッド映画のようにわかりやすいストーリーや、全てが解決してスッキリする結末を求めている人からすれば、この映画は下手すると「中途半端な出来損ない」というレッテルを貼られるかもしれません。しかし、私にはむしろ想像の余地が残された作品の方が、より魅力的に感じます

スクリーンショット 2014-12-10 22.52.03

この映画はある家族の、中でも母と息子にフォーカスを当てた作品です。物語の語り手は母親で、描かれる視点は母親からのみ。母親から見えないシーンはほとんど描かれていません。その母親を取り巻く人々が何をしたのか、当然その母親には真相がわからないことも多いでしょう。

ですので、母親が知るはずもない出来事は映画でも表現されないのです。その表現されない部分は、様々なヒントを映画中から集めて「想像」し、穴埋めするしかありません。この映画は、観客を母親に同調させようとしてきます。真にこの映画を楽しもうとするのであればそれに従い、母親になりきってみるのがいいでしょう。

母親の視点でみる物語のあらすじ(ここからネタバレ有)

まずは簡単なあらすじを、他ウェブサイトから引用しておきます。

少年は残酷な弓を射る – 映画ならKINENOTE

自由奔放に生きてきた作家のエヴァ(ティルダ・スウィントン)はキャリアの途中で、夫フランクリン(ジョン・C・ライリー)との間に子供を授かった。ケヴィンと名付けられたその息子は、なぜか幼い頃から、母親であるエヴァにだけ反抗を繰り返し、心を開こうとしない。

やがて美しく、賢い、完璧な息子へと成長したケヴィン(エズラ・ミラー)であったが、母への反抗心は少しも治まることはなかった。そしてこの悪魔のような息子は、遂にエヴァの全てを破壊するような事件を起こす……。

※この後はネタバレしているので注意!

子は母の中で悪意を宿す

物語の主人公・エヴァは、夫フランクリンとの間に望まれぬ子(ケヴィン)を宿します。エヴァは妊娠したことを喜んでいない。鏡に映った膨らんだお腹をした自分の姿を見る度に、エヴァは嫌な気分になる。晴れてケヴィンが生まれてきたときも、エヴァはなぜか喜ぶことができなかったし、嬉しそうな顔をすることもできなかった。

スクリーンショット 2014-12-10 22.50.54

母親のエヴァは自分が生まれてきたことを祝福してくれなかった。恐ろしいことにケヴィンは、エヴァが自分に向ける否定的な感情をお腹の中にいるときから受け取っていたようでした。その感情に呼応するかのように、ケヴィンはエヴァに全く懐こうとしません。

エヴァに抱かれると断末魔の叫びかのように泣き狂うのに、夫のフランクリンに抱かれるとすぐに泣き止むどころか、天使のように笑顔を振りまきます。

スクリーンショット 2014-12-10 22.51.02

映画の最初の方で、ベビーカーに泣き叫ぶケヴィンを入れて歩いているエヴァが、工事現場の横で響き渡るドリルの音に泣き声を掻き消してもらうことで安堵の表情を見せるシーンが印象的でした。冒頭から「なんて残酷なシーンなんだ!」と驚きましたね。

ケヴィンは成長しても、変わらずエヴァを弄びます。

  • ボール遊びをしようとしてもケヴィンは反応しない。時折笑顔でボールを返してみてエヴァの顔をほころばせたかと思えば、その後すぐに無反応に戻る。
  • 6歳になってもおむつを外せず、交換した直後にこれみよがしに脱糞する。しかもエヴァに笑顔を向ける。
  • パンにジャムを塗ってテーブルにジャム面を押し付ける(これみよがしにエヴァの前で)。
  • 旅行ライターだった頃の思い出に浸るため部屋中の壁に地図を貼ったエヴァ。それをバカにするケヴィンは、エヴァがいなくなった隙に壁中にペンキをぶちまける。

最悪の結末は、母子の物語の始まり

枚挙に暇がありません。ケヴィンは悪意の塊をぶつけるかのように、エヴァの嫌がることを繰り返します。夫フランクリンの前では愛らしい笑顔を見せるケヴィン。ケヴィンが魅せる見た目の美しさ・子どもらしさを盲目的に信じるフランクリンは、エヴァの訴えをことごとくはね除けた上に、エヴァの方にカウンセリングが必要なんじゃないかと冷たくあたります。

エヴァとフランクリンの間に二人目の子ども(女の子)のセリアが生まれてからは、エヴァとフランクリンの仲はすこし元に戻ったように見えます。しかしケヴィンは、幼い自分の妹であろうとエヴァに悪意をぶつけるためなら徹底的に利用します。セリアの髪の毛を掃除機で吸い込んだり、紐でぐるぐる巻きにしたり、想像力で補完しなければならないところではありますが、セリアを失明にまで追い込んでいます。

スクリーンショット 2014-12-10 22.54.27

飛んでくる悪意の塊に耐えられなくなったエヴァは、ケヴィンに疑いの目を向けていることをフランクリンに告げますが、フランクリンはケヴィンを疑うエヴァの方に問題があると言わんばかりにカウンセリングを薦める始末。次第にぎくしゃくする夫婦間、しまいには離婚話も出始めます。

この後に起こるある大事件。詳細は映画を観てもはっきりと明かされぬままですが、その事件の結果この家族は崩壊します。いや、起こらずとも遠からず崩壊してたと思いますが・・・。しかしすべてが終わった後、母と息子は対面して抱き合い、このときにようやくエヴァはケヴィンのことを「理解」することができました。そして、やっと愛することができたのだと思います。

ケヴィンを抱くエヴァの表情がそれを物語っています。エヴァは全てを失うことでようやくケヴィンを愛することができたなんて、皮肉にもほどがありますね。ハッピーエンドなんてとても言えませんが、この映画は「母」が「息子」をやっと愛することができたという、ある種の「親子愛」を描いた映画だったのかもしれません。

母性神話の嘘

以前私は、当ブログにこんな記事を書きました。↓

母は「母」である前に、ひとりの人間であること。そして母性神話のウソ。 – ヘンテナブログ

「少年は残酷な弓を射る」に関係のある箇所を引用します。

私は男性なので、 「女性にはもともと、母性が備わっている」とか「子どもを産めば、自動的に母性がわいてきて、自然に子どもの世話をしたくなる」という本能的なものはよく分かりませんが、 これがかなり危険な思想であることはよく分かります。

というのも、子どもを産んだものの「母性」というカタチのないものが自分の中に産まれてこず、母親失格であると自己否定に陥ってしまう友人・知人を度々見かけていたからなんですね。彼女達はそれぞれ真剣にそのことで悩んでおり、決して母親失格な人間ではありませんでした。
(中略)
しかしこの「母性」と呼ばれるものは、現在では「本能」ではなく「学習」であるとされています。そもそも母性本能と呼ばれるものは、世間ではとてもひとりで生きていけないような社会的弱者(赤ちゃん)を守りたいと思うようなものですが、生まれつきほとんどの人の遺伝子に組み込まれていると言われています。しかも、男女関係なく。

こうなってくると、「母性」本能という名称自体に誤りがありますね。それどころか誤解されて伝播していくことになる。「母」には、徐々になっていくものであって、備わっているものではない。そう知ることで救われるのは、その母だけでなく、子どももそうでしょう。

エヴァは自分に「母性」が芽生えないことを焦っていたのでしょうか。エヴァはケヴィンに対して、心から愛せないなりに愛そうとしているようには見えます。

しかし子どもは、親が思っている以上に親の感情を本能的に受信しているんじゃないでしょうか。ケヴィンは生まれたときから、母親であるエヴァが自分の誕生を祝福していないことを感じ取り、意趣返しのように悪意を投げつけていたと考えられます。

どれだけエヴァが見た目を取り繕って愛するフリをしても、本能を感じ取るケヴィンは悪意で返します。見事な悪循環で、そんなケヴィンをますます愛せなくなるエヴァと、本当は愛されたいのに悪意で返す他ないケヴィンとの、負のスパイラルがどんどん渦巻いていき、物語は最悪の結末を迎えることになります。

スクリーンショット 2014-12-10 22.50.09

この物語を観て、エヴァが望まぬ妊娠をして「母性」が芽生えないままに子どもを産み、結果その子どもに悪意で返されるのなら、「母性」が芽生えなかった母親が悪いと受け取る人もいるようです。私からするとその人は「母性」について誤解しているんじゃないかと思いますね。もしくは「母性神話」を信じ過ぎているんじゃないかと思います。

前述の引用文どおり、現在母性というものは「本能」ではなく「学習」であるとされています。妊娠したから、子どもが生まれたからといって、自動的に母性に目覚めるものではないんですね。そもそも母性本能と呼ばれるものは、とてもひとりでは世間で生きていけないような社会的弱者(例えば赤ちゃん)を守りたいと思うようなものですが、男女関係なく 生まれつきほとんどの人の遺伝子に組み込まれていると言われているものです

ですからケヴィンを孕み、産むことに対してエヴァに母性本能が芽生えなかったこと自体は責められるものではないと思います。物語の最後でエヴァは、学習の末にようやく母性本能に目覚めたのかもしれません。これ以上にない程の「学習」ではありましたが。

ケヴィンはある意味ではモンスターだったのかもしれません。母からのいびつで嘘の入り交じった愛情を「悪意」として受け取り、「悪意」で返すことでしか愛情表現ができなかったという意味で。

スクリーンショット 2014-12-10 22.52.47

この映画はやはり、とても厳しいカタチで結末を迎えた「親子愛」の物語だったのでしょう。エヴァがフランクリンとの間に子をなしてから、本当に幸せなときがあったのかはわかりません。しかし、これ以上にないくらいの最悪な事件で幕を引いたというのに、観終わった後、不思議とすっきりした気分になりました。

それはきっと、ケヴィンを抱いたエヴァの表情が安堵したような表情をしていたからでしょう。ミステリーホラーとしてのこの映画の恐ろしさの中には、「母性とはなにか」という問題に対する答えのひとつがあるのかもしれませんね



スポンサーリンク
スポンサードリンク
スポンサーリンク
スポンサードリンク