映画『ゆれる』 きっと、真実はいつも藪の中。

3387bcbe

スポンサーリンク
スポンサードリンク

兄も弟も、そして観客の心も『ゆれる』

実は以前に紹介した『少年は残酷な弓を射る』と、この『ゆれる』には似ているところがあります。主要キャラクター2人の内、片方側からの視点しか描かれていないがために、起こる事件の真相がはっきりしないんですね。『少年は残酷な弓を射る』では母と息子でしたが、『ゆれる』では兄と弟がその主要キャラクターを務めます。

私はこういった『自分の頭で考えないと面白さがわからない』タイプの映画が大好物なんです。1から10まできちんと説明してくれて、最後は決まってハッピーエンドみたいな映画にはほとんど興味がありません。

考える映画を立て続けに観て、疲れ果てたときに流し見することはありますが。観終わった後に「?」が残ってもう1度最初から観なおしたり、いろんな解釈を求めて調べはじめたり、こんがらがる頭を整理するために文章化しないといけないような映画が、私にとっての「面白い」映画なんですね。

※下記ブログ主さんも同じ考えのようで、当記事を書くのに参考にさせていただきました。
持てる者は誰かを傷つけている 映画 「ゆれる」

スクリーンショット 2014-12-10 0.16.08

「ゆれる」のあらすじ

まずは簡単にあらすじを紹介いたします。

ゆれる
故郷を離れ、東京で写真家として活躍する弟・猛。母親の法事で久々に帰省し、兄・稔が切り盛りする実家のガソリンスタンドで働く昔の恋人・智恵子と再会する。猛と智恵子とは一夜を過ごし、翌日、兄弟と彼女の3人で渓谷へ遊びに行く。猛が智恵子を避けるように写真を撮っているとき、智恵子が渓流にかかる吊り橋から落下する。その時、近くにいたのは稔だけだった。事故だったのか、事件なのか? 裁判が進むにつれ兄をかばう猛の心はゆれ、そして証言台に立ち最後に選択した行為とは……。

持てるものと持たざるもの

それにしても『ゆれる』というタイトルは言い得て妙。真実を暴くために行なわれる法廷での闘いの中で、弟の猛(オダギリジョー)は大事な兄を守るために必死に無罪であることを証明しようとするが、バカ正直にも程があるお人好しで人格者の兄・稔(香川照之)は、自分が無罪であることを強く主張しようとはしない。それどころか「自分が殺したようなものだ」とまで言ってしまう。

その言葉には、田舎の名士の家に長男として生まれ、否応なく誠実で実直で勤勉な人間であることを求められてきたことが、きっと関係しているのでしょう。誰からもその人格を疑われずにいた稔は、それを維持するために心までも売り渡していたのではないでしょうか。

スクリーンショット 2014-12-10 0.14.53

家業である田舎のしがない寂れたガソリンスタンドを経営し、かわり映えのしない日々を送る一方で、容姿にも才能にも恵まれた弟の猛は東京に飛び出し、写真家として自由奔放な日々を送っている。幅広い人脈も形成し、女にも不自由は無いようです。猛が自由に生きていけるのは、兄の稔が家の面倒を一手に引き受けているからに過ぎないことに気付いているんですね。

猛はそんな兄の稔に感謝し、尊敬の念も抱いています。「俺にはそんな生き方はできない」と。まぁこの言葉はどちらの意味にも取れますが。

スクリーンショット 2014-12-10 0.15.04

稔は自由に生きる弟の猛に対し、一緒に育ってきた兄弟としての愛情は認めつつも、持たざるものとして生まれてきた自分に対し、持てるものとして生まれてきた弟を憎む気持ちもあったのではないでしょうか。だから、自分がそこはかとなく思いを寄せていた幼なじみの智恵子(真木よう子)が以前は猛と恋仲にあったこと、さらには智恵子が吊り橋から転落して亡くなる前の日に猛と寝ていたことに気付き、怒りにも似た衝動が爆発したことにもうなずけます。

しかし映画中で兄の稔の視点が一切ないため、観客は猛というフィルターを通してしか稔を判断することができません。それを補助してくれるのが稔を演じる香川照之の怪演なのですが、その顔づくりが見事すぎて「何が真実か」を読み取ることができないんですよ、皮肉なことに。

猛は兄を「信じたい気持ち」と「疑う気持ち」に揺れ、稔自身も「何が真実か」に揺れ、それを観る私たちも二転三転する法廷バトルに心が揺さぶられる。問題となる事件が起こる吊り橋が、大きく揺れたことに端を発するこの映画。『ゆれる』というタイトル以外に選択肢はありませんね。

真実はいつも「藪の中」

結局、智恵子が吊り橋から転落したのは『事故』だったのか、『殺人』だったのか。はっきりしないままに映画は終わります。もちろん裁判上の判決は下りましたが、稔の中に一瞬芽生えた智恵子への殺意は本人が語るように本当だったのだろうと思いますし、稔が転落しそうになる智恵子を救おうと手を差し伸べたのも猛が目撃したように本当でした。

スクリーンショット 2014-12-10 0.16.43

映画の終盤で証言台に立つ猛が述べた「真実」は、あの状況を鑑みるにそう述べても仕方のないものだったでしょう。それから7年後に、あるビデオテープの映像を見るまでは・・・。

何か物事が起きたときに、本当に意味で「真実」を語ることはできるのでしょうか。すべてを目撃していたとしても、一切の思い込みや肩入れ・好き嫌いに益不益を排除して語ることができるのでしょうか。私たち人間はそんな完璧な生き物ではありません。

もちろん法廷が「ルールに従って真実を決めるもの」であることはわかっています。しかし、この映画で描かれる裁判で下された判決が「真実」とは異なるものであったことは、観終わった方なら誰しもが気付くことでしょう。「こころの動き」の真実などというものは、いつも藪の中。きっと、そういうものなんです。

人間を描いている映画にしか興味のない私ですが、この映画はそういった意味で最高の映画でした。ぜひ先日紹介した『少年は残酷な弓を射る』と、あわせて観ていただきたいですね。


スポンサーリンク
スポンサードリンク
スポンサーリンク
スポンサードリンク