映画「寄生獣」 母性を蹂躙する寄生生物、知への欲望が人間を駆り立てる!

寄生獣

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『寄生獣』あらすじと経緯


地球上の誰かがふと思った
『人類の数が半分になったら いくつの森が焼かれずにすむだろうか……』

地球上の誰かがふと思った
『人間の数が100分の1になったら たれ流される毒も100分の1になるだろうか……』

誰かが ふと思った
『生物(みんな)の未来を守らねば……………』

突如飛来した寄生生物たち。彼らは人間の身体に侵入し脳を乗っ取り、他の人間を食い殺し始める。高校生・泉新一の身体にも寄生生物が侵入するが、脳の乗っ取りに失敗し彼の右手に宿ってしまう。自ら「ミギー」と名乗った寄生生物は新一と奇妙な共存関係になる。そんなイレギュラーな存在となった新一とミギーは寄生生物たちとの壮絶な戦いに身を投じる!

寄生生物

1993年より青年誌「アフタヌーン」で連載が始まった漫画「寄生獣」。岩明均氏によるこの作品は、第17回講談社漫画賞を受賞している。日本はおろか海外でも絶大な人気を誇る「寄生獣」はハリウッドが映画化を熱望するも断念、紆余曲折あって2014年に日本での映画公開が決まった。

さすがに全8巻の漫画(刊行スタイルによる)を2時間の映画に収めることはできず、前後編の2部作となった。前編は2014年11月29日公開、完結編となる後編は2015年4月25日公開。主演は染谷将太、主要人物には橋本愛、深津絵里、東出昌大、阿部サダヲなど。

名作の映画化に批判はつきもの


案の定というか、日本での映画化が決まった瞬間から批判の声は相次いでいた。原作が伝説の作品だけにその批判もかなりの熱量を持っている。

Googleで「寄生獣 批評」と検索してみよう。ずらずらと酷評が並んでいる。正直不安な気持ちもあったが、蓋を開けてみれば公開日となる11月29日と翌日30日の2日間で興収は3億4034万円を突破。

不安を拭う大健闘、いや大成功と言えるだろう。

しかしもちろん興行収入だけで映画の良し悪しは判断できない。肝心の中身はどうだったのか。レビューしていきたいと思う。

その前に前提として申し上げておくと、私は原作を10年以上前に読んでいるものの、さっぱりあらすじを忘れているレベル。なんとなく登場人物を覚えていはするものの、とても新鮮な気持ちで映画を観た。よって、原作に対してあまり思い入れのない人間が評していると判断してほしい。(しかし、とてもおもしろかったことは覚えているのになぜ覚えていないのか。おそらく岩明先生が込めた「生きるとは」「人間とは」といった哲学の部分を理解することができず、ただのエンターテイメントとして消費してしまったからだと思われる…情けない。)

あと、レビューの前に一言。

こういった原作モノの映画レビューをネットで検索する際は、極端な酷評は無視してしまう方がいいと思う。原作愛の深いファンにとって100%満足のいく映像化なんてありえない。少しでも改変があれば原作レイプだと騒ぎ立てる人もいる。かといって原作通りだと映像化する意味がないと言われる。高い興行収入を見込めるのと引き換えに、手痛い評価をもらってしまうものなのだ。

今年で言うと、同じく原作が漫画の「るろうに剣心」は内容的にも興収的にも大成功だった。しかし、寄生獣と同じように深い哲学的テーマを内包した永井豪氏原作の実写映画「デビルマン」は、とんでもない愚作と成り果てた。殊に有名な原作をいじるのは難儀なことなのだろう(デビルマンは本当に酷い出来だったから仕方ないが)。

果たして映画「寄生獣」は、そんなリスクを犯してまで映像化する価値のある作品となったのか…?

原作の良さと改変による新設定がうまく噛み合った良作


先に感想を言っておくと、多少違和感のあるシーンもあったが全体的に丁寧につくられた良作だった。PG12(ペアレンタルガイダンス)という、原作の過激さを鑑みるとかなり甘く設定された年齢制限で大丈夫かなと心配したが、ギリギリレベルのグロテスクさは保てていたように思う。

グロければいいというわけではないが、過激な表現を控えることで作者や監督のメッセージが伝わらなくなるのであれば、例え観覧できる対象が限られてしまうとしても年齢制限は上げるべきだ。そう思っていたが、実に見事なレベルで残酷さを表現していたので全く気にならなかった。思い返せば捕食や人体損壊シーンも描かれていたし、表現が絶妙だったんだろう。

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ひとつ目のキーワードは『母性』


映画化にあたり、やはり原作を改変しているところも多い。細かい部分はいちいち挙げないが、とても大きな変更点は主人公・新一の父親がすでに亡くなっているところ。母親との二人暮らしに変更されているのだ。これは影響が非常に大きい。

結果的に、映画版の前半を貫くテーマは『母と子』『母性愛』となっている。テーマはもうひとつあると考えているが、それはまた後で。

一応ネタバレになるのでキーワードを伏せながら書くが、中盤以降に観ている者の心が掻き乱されるような展開がある。「もうやめてくれ、許してやってくれ!」と叫びたくなるような、おそらく本作で最もつらいシーンが。それを描くためには、この改変が必要だったのかもしれない。

思えば節々に『母と子の愛』を示すシーンが盛り込まれていた。母親の手にあるただれた火傷の痕。それを見るたびに心苦しくなる新一。思春期故に反発する心と、どうしようもないくらいに感謝し、尊敬し、愛する気持ち。観る者を微笑ましい気持ちにしてくれる、なんでもない一時…。

原作とは違い美術部に属している新一が描いていた女性は、ヒロインの里見などではなく母がモチーフであったことも重要なシーン。里美に似てるんじゃない?とからかわれた新一が、憤ってその絵に溶解剤をかける。油絵の具はみるみるうちに溶けていき、白地のキャンバスに。この溶けていく様を、母親の火傷の痕と重ね合わせずにはいられない。

母の絵

さらに映画では、もうひとつ『母性』について描かれている人物がいる。

寄生生物でありながら、人間と共存の道を見つけようとしている田宮良子だ。知への好奇心から人間の男とまぐわい、子を成した。そこから生まれてくるのは果たして人間なのか、寄生生物なのか。生殖機能を持たぬ寄生生物はどのように繁殖するのか、疑問に思ったが故の好奇心。これもいびつな『母性』なのか。

そして妊娠後に学校を辞めることになった田宮が自宅に帰った際に、部屋で待ち受けていた両親。原作では母親だけだったが、映画版では父親も来ている。良子に異様な気配を感じた母親は、いち早く「これは娘ではない!」と気付くが、父親は「何を言っているんだ」と取り合わない。そうこうしている内に残酷な結果となってしまうが、重要なのは母親のみが娘の異変に気付いたところ。

映画版で顕著に見られるのは、男の頼りなさ。原作よりも新一がヘタレに描かれているところも拍車をかける。相対的に重要なテーマに見えてくるのが『母性』だ。完結編がどう描かれるかわからない以上断定はできないが、どうやら『母性』が重要なキーワードになっているようだ。

もうひとつのキーワードは『知る欲望』


新一の右手に寄生したミギーは、圧倒的な知る欲望を持っていた。宿主=新一を乗っ取ることができず仕方なしに共存することとなったミギーは、絶望するでもなく、すぐに今できることは何かと考え始める。

まずは知識だ。共存していかなければならない以上、人間のことを知らなければならない。

ミギーは文明の利器・パソコンでのインターネットを使いこなし、あっという間に人間について学んでいく。この適応力には驚くしかない。

ミギー

人間は知りたいという欲求に抗うことができない。もし知る欲望が消え失せてしまったら、それはもう死んでいるのと同じだ。わけのわからない寄生生物に大事な右手を乗っ取られた新一は絶望する。もはやすべてを諦めかける。しかし愛する母親に危機が迫った後、新一は絶望を乗り越えた。自分に今できることは何なのかを考え、決断し、覚悟を決めた。

一旦は躊躇してしまったAという寄生生物との対峙。再度の対峙時に、躊躇はなかった。現状を知り、諦めなければならないことを知り、今できることは何なのかを知った。新一は知り、成長した。

新一は寄生生物について知らなければならない。一体何が起こっているのか、一体どうすれば滅ぼせるのか。答えはない。まだわからない。だけど新一は知らなければならない。ミギーは合理的ではないと咎めるかもしれないが、新一はそのために覚悟を決めたのだ。

私が思うに、映画『寄生獣』のもうひとつのテーマは「知る欲望」ではないかと思う。寄生生物の本質と、人間の本質には似通ったところがあるのかもしれない。

「人間とはなにか」「生きるとはなにか」

それはおそらく、完結編で明かされる。それまでに漫画版を再読するか、非常に悩む…。

このレビューを読んで何か琴線に触れるものがあれば、ぜひ映画館で見てほしい。


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