抗日事件を描きながらも、決して反日映画ではない傑作『セデック・バレ』

1年前の4月20日から上映が始まった映画『セデック・バレ』。日本が台湾を統治していた1930年に起こった抗日運動「霧社事件」を題材とした、上映時間4時間36分にも及ぶ歴史超大作なのですが、その長い時間にムダなシーン等は一切無く、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいました。はっきりいって傑作です!

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日本が台湾を統治していた時代の物語

台湾といえば、親日国として日本ととても馴染みの深い国として知られています。何気にあまり知られていませんが、1895年〜1945年までの50年間、台湾は日本が統治していました。日清戦争終結後、下関条約で中国(当時は清朝)から日本に割譲されたことから統治は始まり、1945年・第2次世界大戦の終わりを告げるポツダム宣言により日本から中華民国へ編入されるまでことですね。

統治下の台湾では、日本人化計画が推し進められます。それは新しい文明をもたらすものでしたが、その一方で原住民族が持つ文化や習慣はないがしろにされていました。暴力や権力による過酷な服従を強いられていた面もあり、原住民の不満は日に日に募っていきました。そんな最中、1930年に日本人警官との間で起こった小競り合いが主たる原因で、原住民による武装蜂起が起こります。日本が台湾を統治していた50年間でもっとも大きな武装蜂起(抗日運動)が「霧社事件」。

映画「セデック・バレ」はこの霧社事件を描いた超大作です。

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あまりに長いこの映画は、第1部「太陽旗」と第2部「虹の橋」に分けられています。第1部は厳しい生活を強いられてきたセデック族が武装蜂起するまでが描かれており、軍人だけはなく女子供まで虐殺していくエンディングは息を飲むような演出でした。セデック族の大勝利で終わった第1部ですが、第2部では圧倒的な戦力を誇る日本軍を戸惑わせながらも、次第に追いつめられていくセデック族を生々しく描いています。

霧社事件とは?
1930年10月27日に台中州能高郡霧社(現在の南投県仁愛郷)で起こった台湾原住民による日本統治時代後期における最大規模の抗日暴動事件。霧社セデック族マヘボ社の頭目モーナ・ルダオを中心とした6つの社(集落)の男たち300人ほどが、まず霧社各地の駐在所を襲った後に霧社公学校で行われていた小学校・公学校・蕃童教育所の連合運動会を襲撃。日本人のみが狙われ、約140人が殺害された。現地の警察には霧社セデック族の警察官が2名おり、彼らは事件発生後にそれぞれ自殺。その後の日本軍の反攻により、蜂起した6社の約1000人が死亡し、生存者約550人は投降した。

「台湾原住民」とは、17世紀頃の福建人移住前から居住していた、台湾の先住民族の正式な呼称。中国語で「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、この表記は台湾では用いられていない。現在では憲法で「原住民族」と規定されている。

『美談』ではない武装蜂起

歴史がどうだったかはともかく、こういった反乱や蜂起のように弱者が強者に抗う姿は、映画では「美談」として描かれることが多いのではないでしょうか。その蜂起を正当なものに見せるため、また弱きを助け強きを挫く姿を見せるために。しかしこのセデック・バレでは、必ずしもその武装蜂起が美談として描かれていない。それどころか、女性たちは武装蜂起したことを嘆いてすらいます。「なぜこんなことをするの!?」と。第1部のエンドがまさにそれを表しています。

第1部では強襲が成功し、セデック族が日本軍に一泡吹かせたところで終わります。ここまで日本軍は原住民を痛ぶって楽しむ下衆な描かれ方をしているので、むしろセデック族側に感情移入しているかもしれませんね。セデック族の勇猛果敢さ、戦闘能力の高さは単純に格好よく、第2部の冒頭は「血湧き肉踊るとはこのことか!」と息巻く展開が続きます。ゲリラ戦に特化したセデック族は日本軍が想定していた以上の動きを見せ、たった300人のセデック族に翻弄される日本軍が哀れに見えてきます。

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しかしそう思うのも束の間、圧倒的な兵力・軍事力を持った日本軍がセデック族の蜂起鎮圧のために総力を結集しはじめると、徐々にセデック族は劣勢に追い込まれていきます。カリスマを持つ将が次々に戦死していき、残り少ない食料を守るために集団自決する女性たち、部隊は両手で数えられる程にまで減っていた最中、頭目モーナ・ルダオに最後の決断が迫られる。降伏か、死か。

悲惨な最後と言って差し支えない結末を迎えるこの映画、台湾に咲く真っ赤な桜を見ながら河原さぶ氏が演じる鎌田陸軍少将は、「大和民族が100年も前に失った武士道を台湾で見るとは」とつぶやくシーンが印象的です。民族の誇りを守るためには命すら惜しまない。「降伏するのものは殺さない」と日本軍が通達してからも蜂起側のセデック族から降伏者は出てこず、死を選んだことからもそれが伺えますね。

セデック・バレは反日映画か?

日本軍の酷い統治を描いているこの映画は反日映画なのでしょうか?

私は必ずしもそうとは思えません。具体的にはこちらの名解説が参考になります↓

日本人を文明人として描きすぎた?:日経ビジネスオンライン
自分の目で前後編を見た上で言えば「セデックバレ」は抗日事件を題材にしながらも反日映画ではなかったと思う。誤解を恐れずに言えば、むしろ親日映画かもしれない。さらに言えば、ひょっとすると反中華映画かもしれない。

私もオールアグリーです。事実をベースに描きながら、日本を文明の象徴のように扱い、逆に台湾は野蛮なイメージをそのまま込める。しかしその野蛮さは民族としての誇りを守るためのものであって、決して誇りを傷つけるようなものではない。観る側が現代の感覚で「野蛮」だといっているに過ぎない。

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「セデック・バレ」とは「真の人」という意味である。真の人とは、すなわち「英雄」を意味している。セデック・バレになるためには、敵の首を狩る必要がある(文字通り、本当に首をかっ切って献上する)。そうすることでセデック・バレの証である刺青を顔に施してもらえる。セデック族は、死ぬと虹の橋を渡って祖先が待つ家に行くという言い伝えがある。刺青はその虹の橋を渡るために必要なのだ。彼らにとって「虹の橋を渡ること」は民族の誇りを守る最後の行為。

日本人にとってこの死生観は、すんなりと受け入れることのできる感覚なのではないでしょうか。武士道精神がその最たるもの。こうした「日本人の感覚」を多分に含んだこの映画は、それこそが「日本を重んじている」ことに繋がっている。日本人の俳優も多く参加しており、それぞれが「こんな日本人いないって!」とならず、実に感情移入できるようにつくられていることからも伺えますね。

ただの娯楽映画として観るのはもったいない傑作。ぜひWikipediaでもいいので霧社事件や台湾統治について学んでから観てほしい映画です。日本人として、きっと何か思うものがあるはず。


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