押見修造「惡の華」 主人公も、少女も、決して病んでいるわけではない、誰だって彼らと紙一重なのだから。

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「クソムシが」

なんとも衝撃的な表紙ですね。

悪の華は、先だって当ブログで紹介した「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」の作者、押見修造さんの代表作(?)です。もともと「漂流ネットカフェ」というマンガで押見さんのことを知ったのですが、鬱屈した心模様を描くのがとても上手い作家だなあと思います。そして、その表現が爆発したのが、この悪の華です。

似ているのかどうかわかりませんが、私は川上未映子さんの小説「ヘヴンをなぜだか思い出しました。特に後半の、主人公が斜視についてある決断を下した後からが特に印象強くダブってみえます。ちなみにヘヴンも傑作ですよ。

悪の華は、おそらく恋愛モノではありません。

そんなチャチなものではなく、ファム・ファタールとしての崇拝対象から性欲対象へと堕ちた思考に突き動かされ起こした行動を、こんなの本当の自分じゃないと頑なに認めずひたすらに隠そうとする主人公と、本当はクソムシなんだテメーはと本性を暴きたてようとする少女との関わりがもたらす、過剰なほどのリビドー表現の満ちた、ある意味での「人間讃歌」ではないでしょうか。

ただの変態マンガととらえる人も多いでしょうが、中学生(男子だけか?)なんて大抵ねじり曲がった性衝動をもっているもの。たまたまその衝動が体操着を盗むという「行動」に出てしまっただけなのに、その変態性を隠そうとする主人公を許せない少女によってコトバによってひたすら凌辱され、心をグチョグチョになるまで翻弄された主人公はマンガの6巻から中学生編完結となる7巻で、この「クソムシな自分」こそが、1番自分らしくいられる自分だということを肯定し、幕を閉じる。


主人公も、少女も、決して病んでいるわけではない。誰だって彼らと紙一重なのだから。

私は今年に入って、平野啓一郎さんの小説「空白を満たしなさい」と、兄弟本となる新書「私とは何か」を読み、本当の自分などというものは無いのだ、という考え方を持ちました。

今までの人生観がガラっと変わり、生き易くなるこの考え方を持ってから「悪の華」を読むと、主人公は自分を剥き出しにしようとするその少女と一緒にいるそのとき、自分が一番輝いていられることに気付いたのではないか、と思えました。

つまり、救われた。

はたから見ると異質なことでも、彼らにとってはお互いが「救い」であったのでしょう。そう思って読むと、なんだか泣けてきて困ります。泣けるマンガではないでしょうに。。。

ぜひこのマンガを理解できる方と、語り合いたいところです。

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