押見修造「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」 逃げて、逃げて、逃げ続けていた自分を追いかけてくるのは、自分自身。

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押見修造さんのマンガは、容赦がない。

深く、心を抉ってきます。

絵のタッチが可愛らしく、ともすればオタクが読むようなマンガじゃないのと言われてしまいそうですが、「普通」になれない自分が嫌いな主人公の志乃が困難を乗り越えていこうとする姿に、私は泣きそうになりました。これは傑作だと思います。

”普通に話したいのに話せない。”

たったそれだけのことが、志乃を「普通」の中学生にしてくれない。

志乃のつらさを私は理解できる、というと、吃音症をもっているわけでもないのに偉そうに!と言われそうですが、「思ったことが言えない」「言いたいことが言えない」そんな辛さを持つ人は結構いるんじゃないかと思います。

大体において、こういう状況に対して他人は、「緊張しているから」「みんなと打ち解けていないから」と決めつけてしまうものでしょう(作中の先生がそうですね)。

私はあまり緊張しないたちですが、よく噛みますし、どもることも多いです。

決して緊張しているわけでもないし、人と打ち解けていないわけでもないのに。

私は学生時代、そんな自分が嫌いで、「話す」という行為を避けていた時期がありました。

面白いことも言えないし、言っても伝わらない、じゃあ喋らなければいい、という悪循環に陥っていたんでしょうね。自分を裏切らない小説やゲームを愛好していたのは、そのせいもあるかもしれません。

このマンガに大きく共感したのは、志乃が上手く喋れないくやしさを爆発させる最後のシーン。

逃げて、逃げて、逃げ続けていた自分を追いかけてくるのは、自分自身。

自分自身から逃げ切ることなんてできやしないのだ。そのことに気付いた志乃は、自分をバカにしていたのが、自分を笑っているのが、自分を恥ずかしいと思っているのが、自分自身であることを認めた。こんな自分が「大島志乃」であることを認めた。

今現在、私が学生当時に比べて話せるようになったのも、志乃のように、今ある自分が自分自身であると認めたことがきっかけでした。それだけに、このマンガに深く共感してしまったのだと思います。上手く喋れない自分はきっと他人に迷惑をかける、きっとバカにされる・・・なんて思っていましたが、案外自分を一番バカにしているのは、自分自身だったりするんですね

自分自身を認めたそのとき、とても清清しい気持ちになりました。

本当におもしろいので、かわいらしい絵に躊躇せず、ぜひ一度読んでみてください!

※押見修造さんのマンガは私の琴線に触れるものが多く、引き続いて今読んでいる「悪の華」も、鬱屈した学生時代を過ごした私のような方にはグッとくるのではないでしょうか?

しかし、表紙がまたえげつないですね・・・w

「クソムシが」

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