『ほとりの朔子』 子どもでも大人でもなく、身内でも他者でもない。そんな人生のほとりで朔子は何を思うのか?

映画「ほとりの朔子」

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※畦(ほとり)・・・水面に近接した岸の周辺のこと

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誰もが経験する、人生の“ほとり”

かなり久々に、渋谷のシアター・イメージフォーラムに行ってきました。

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お目当ては、二階堂ふみが主演の映画『ほとりの朔子(さくこ)』。何とも不思議なこのタイトルは、フランス映画に造詣が深い監督・深田晃司らしく、『海辺のポーリーヌ』といったヒロインの名を冠した映画から影響を受けているのではと考えられますね。

さてこの映画なんですが、ストーリーを何と説明していいものか悩みます。正直、そんな大した事件も起こらないですし、ひたすら淡々と物語は進み、あっけなく幕を閉じます。

なのに、なぜこんなにも心が揺さぶられるのか?

それはきっと、誰もが経験する人生の“ ほとり”を描いているからに他ならないでしょう。それでは、人生の“ほとり”とはいったい何なのか?

主人公の吉野朔子(二階堂ふみ)は、ガリ勉を通していたにも関わらず大学受験にことごとく失敗し、現実逃避中の浪人生。血の繋がりのない叔母・海希江(鶴田真由)に誘われ、夏の終わりの2週間を海辺の町で過ごすことになる。うるさい親からも解放され、仕事にやりがいを持ち尊敬のできる叔母と共に過ごせるということから、失意の朔子はリハビリを兼ねてこのバカンスを楽しんでいる・・・かと思いきや、朔子の表情は時折「楽しんでいる」とは言いがたいものに変わる。

状況だけならば、リハビリには適した環境のように見える。しかし、自分がなんだか上手くいっていないときに、輝いている人が側にいるとあなたはどう思うだろうか?

人間は環境で変わる、というのはひとつの真実。輝きに引き寄せられて見事にリハビリ完了となる場合もあるでしょう。しかし、朔子の表情を見ていると、そんな憧れるほどにやりたいことに打ち込む叔母の姿をみて、なんだか気後れしているような印象を受ける。

言うならば、居場所を失ってしまったように見えるんです。

高校生でもなく、大学生でもない。

子どもでもなく、大人でもない。

身内でもなく、他者でもない。

生きているはずの世界から放り出されたような感覚。どこにも所属できていないような浮遊感。朔子の浮かない表情からは、そんなことが読み取れるんじゃないかと思います。

『居場所』とは、探し出すのではなく、つくり出すもの。

この映画は、朔子と、同じく居場所を失ってしまった不登校の高校生・亀田孝史(太賀)の自己再生物語であるとともに、見失った居場所を見つけ出す過程を描いた作品なのかなと私は受け取りました。そして、エンドで朔子がとった行動と表情が、居場所は探し出すんじゃなくて、つくり出すものであるということを教えてくれる。

この映画に出てくる「大人」がみな、憧れることのできるような立派な大人ではないことが朔子の過ごす2週間のバカンスで次々と明らかになり、朔子は「なーんだ」と吹き出すように笑うようになる。この瞬間の朔子が、たまらなく愛らしい。大人になりそこねたけれど、実際の大人たちは無様な程に子どもだったことが分かって、思わずこぼれた笑み。実に輝いていました。

大したことは起こらないこの映画は、悩み疲れた人たちの心に大きな影響を与えてくれるでしょう。居場所がなくてつらい思いをしている人たちに、ぜひ観てほしい傑作です!

〜閑話休題〜

子どもでもなく、大人でもない「女」を演じた二階堂ふみ。

実際に現在19歳であるということもあり、その渦中独特の「女性」性を醸し出しています。つまり、大人びた表情や子どものように無邪気な笑顔。成熟しかけている肢体のイノセントさ。朔子を演じることができるのは、確かに二階堂ふみ以外にはいなかったことがよくわかる。以下に、購入したパンフレットや公式ページからいくつか画像を参照させていただきます。背徳感に苛まれながら、楽しんでください。

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