吉田修一『さよなら渓谷』 不幸になるために、一緒にいる。

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真木よう子の好演が絶賛されている映画版をさしおいて、原作の小説版を読んでみました。帯に長編とは書いてありますが、文庫版で230ページほどなので2時間あれば読めちゃいますね。決して気軽に読めるような内容ではありませんが・・・。

さて、あらすじについてはいつものようにAmazon先生から引用させてもらいます。

緑豊かな桂川渓谷で起こった、幼児殺害事件。実母の立花里美が容疑者に浮かぶや、全国の好奇の視線が、人気ない市営住宅に注がれた。そんな中、現場取材を続ける週刊誌記者の渡辺は、里美の隣家に妻とふたりで暮らす尾崎俊介が、ある重大事件に関与した事実をつかむ。そして、悲劇は新たな闇へと開かれた。呪わしい過去が結んだ男女の罪と償いを通して、極限の愛を問う渾身の長編。

よく言われることですが、著者の吉田修一さんが描く小説世界は、とても映画的です。具体的なシーンがビジュアルとして浮かびやすいというか。文庫版の解説で柳町光男さんも語っているように、相当な映画好きなんでしょうね。

さて、肝心のストーリーについてですがある程度ネタバレしながらでないと書けないので、未読の方はご注意ください。

冒頭に起こる幼児殺人事件で実母の立花里見が疑われることから、物語の矢面に立つのは彼女かと思いきや、視点は次第に隣の家に住む尾崎俊介に移動していく。尾崎はかなこと呼ばれる女性と一緒に暮らしているようだが、正式に籍を入れている関係ではない。物語は、この2人の関係を主軸に回り始める。

話題になった『悪人』のストーリーおよび結末が腑に落ちた方なら、『さよなら渓谷』の複雑怪奇な2人の関係に、共感することはできなくても理解を示すことができるのではないでしょうか。私には姉妹作のように感じられました。読後感が似ているのかもしれません。

端的に論点を取り出すと、「集団レイプの被害者女性と主犯格男性との間に、愛情は産まれるのか」ということになるかと思います。これだけ読んだら一般的な感覚として「ありえない!」となるに決まっているのですが、それは『悪人』を読む前と読んだ後で感じる感覚の違いと、ほぼ同じものではないか。多くの人が「結局悪人とは誰だったのか」について思いを馳せたように、本作では「2人の間に生まれたものは愛だったのか」について考え込むことになります。

気軽に「愛」なんて言葉を連呼していますが、そもそも「愛」ってどういうことを示すんでしょうか?
広辞苑によるとこうなっています。

・親兄弟のいつくしみあう心。ひろく、人間や生物への思いやり。
・男女間の愛情。恋愛。
・大切にすること。かわいがること。めでること。
・〔キリスト教〕 神が、全ての人間をあまねく限りなく いつくしんでいること。アガペー。
・〔仏教〕 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られる。

なるほど。特に違和感はありません。

では、この『さよなら渓谷』で提示される愛とは何なのか?
私は仏教用語としての愛、その中の「渇愛」という表現がしっくりくるような気がしました。被害者である水谷夏実が、犯人の尾崎と対面するシーンでこんなセリフを言っています。
「もう馬鹿みたい!許して欲しいんなら・・・許して欲しいなら、死んでよ」
至極まっとうな感覚。彼女が味わった苦痛を想像してみると、そう心に抱いても仕方のない感情。誰しもがそう思うものでしょう。

しかし、ある事情から犯人と逃避行(?)を続けているうちに、夏美はこんな言葉を吐露します。

”私は誰かに許してほしかった。あの夜の若い自分の軽率な行動を、誰かに許してほしかった。・・・でも、いくら頑張っても、誰も許してくれなかった・・・。私は、私を許してくれる人が欲しかった。”

レイプ被害者となった彼女はその後の人生の至るところで、出会ったあらゆる人に、過去の行動を許してもらえなかった。立ち直ろうとしても、立ち上がろうとしても、許されなかった。この事件で悪いのは、間違いなく犯人・尾崎俊介とその一味です。彼女に1パーセントも非がないかは見方によると思いますが、確実に強姦したほうが悪いのは明白。彼女がその後の人生で差別される理由はないはず。しかし、人間の感情とは理屈通りにはいかないもの。レイプ被害を受けた彼女は「特別」扱いを受けることになります。

そして、皮肉なことに犯人・尾崎俊介はその後の人生のあらゆるところで「許されて」しまうと語ります。上手く言えば武勇伝になってしまうこともあると。

夏美を許してくれる人は、尾崎だけだった。尾崎だけが夏美を責めない、いや、責められない。当たり前ですよね、自分が犯人なんだから。自分が彼女をそういう風に貶めたのだから。責める理由がない(逆ギレ以外で)。

夏美は、許してくれる人を渇望していた。「許すこと」はイコール「愛」であるという考え方があります。2人の間には、私たち一般人が知らない形の「愛」が生まれていた。そう解釈することで、私はこの物語に折り合いをつけました。そうでなければ、感情で尾崎を絞め殺しそうになってしまうから。

誰にもその存在が明確な『悪人』なんて、そうそういるものじゃない。見方次第で印象は180度変わることもある。吉田修一さんの作品には、そんな人々が度々出てきます。人と違った体験や経験をした人を特別扱いする。それは良かれ悪かれ「差別」となる。そういった醜い感情が渦巻いているような、苦痛を伴う小説でした。

「人間を知る」のに、吉田修一さんの作品は教科書となってくれるでしょう。知りたくもないことまで教えてくれますがね。

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