平田オリザ 『幕が上がる』 「私たちは、演じつづけて 何になるのだろう 」ーその答えがここに。

unnamed

劇作家・平田オリザが書いた初めての小説『幕が上がる』を読み終えた私は、とても清々しい気持ちになりました。ひさしぶりに、完璧な青春小説を読んだ気がします。どちらかというと朝井リョウ『桐島、部活辞めるってよ』や、古谷実『ヒミズ』といったダークサイド青春モノが大好きな私には、こういったお日様のような温かさを持つ青春小説はあまり合わないことが多いんです。

ですが、この「演劇」にかける情熱!友情!少しの恋・・・ベタなところが山ほどあるにも関わらず、とっても読みやすい文体を道しるべにスイスイと読みすすめてしまい、あろうことか最後の『銀河鉄道の夜』の上演シーンで泣いてしまうという、ダークサイド青春時代を過ごした者としてあるまじき体験をしてしまいました。これ以上に清々しいものなんてない、と言い切りたいくらいに清々しいです。

なんか、私の知ってる青春時代と違う。

・・・気を取り直して、内容紹介に入ります。
あらすじについては、例によってAmazon先生を活用させていただきますね。

いまは恋愛よりも、部活が楽しい――
すべての世代の胸を打つ、2012年最高の青春小説!

私たちは、演じつづけて何になるのだろう。
本当の喜びも、悲しみも、彼女たちはまだ知らない――

北関東の高校に通うさおりは、演劇部最後の一年を迎えようとしていた。姫キャラのユッコ、黙っていれば可愛いガルル、天才・わび助らと共に、年にたった一度の大会に挑む。目指すは地区大会突破。そんな時、学校に新しい先生がやって来た。東京の大学で演劇をやっていたというスッゴイ美人。「何だ、小っちゃいな、目標。行こうよ、全国」。え? すべてはその一言から始まった。高校演劇は負けたら終わり。男子よりも、勉強よりも大切な日々が幕を開ける。
地方の高校演劇部を舞台に、少年少女たちの一途な思いがぶつかり、交差し、きらめく。劇作家・平田オリザが満を持して送り出す初めての小説は、誰もが待っていた文化系青春小説の金字塔!

この紹介文がすでに「青春」していますね。正直、このあらすじだけを先に読んでいたら、手を出さなかったかもしれません。というのも、私がこの本を読んだのは著者が劇作家の「平田オリザ」さんだったからなんです。

この本が出る約1ヶ月前の2012年10月、講談社現代新書から『わかりあえないことから -コミュニケーション能力とは何か-』という本が出版されました。

unnamed (1)

平田オリザさんが書かれたこの本は、”近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。「子どもの気持ちがわからない」というのは、何が問題なのか。”ということをテーマに、新たなコミュニケーション論を説いてあります。

この本については単独で記事にしようと思っているので詳しくは述べませんが、「本当の自分なんて、ない」「人は誰かの”役を演じて”生きている。」ということを強く肯定させてくれる、希代の名著だと思います。同じ講談社現代新書から刊行された、芥川賞作家・平野啓一郎さんの『私とは何か』という本にも同じ感想を抱きました。この2冊は、人生を、教育を考える上で非常に役立つ本ですよ。オススメです。

上記『わかりあえないことから』から2つ、印象的だった言葉を紹介してから、本題の『幕が上がる』に入りたいと思います。

●伝える技術について(P25)

「伝える技術をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子どもの側にないないのなら、その技術は定着していかない。では、その「伝えたい」という気持ちはどこから来るのだろう。私は、それは、「伝わらない」という経験からしかこないのではないかと思う。」

●コミュニケーション能力について(P31)

「こう考えてはどうだろう。世間でコミュニケーション能力と呼ばれるものの大半は、スキルマナーの問題と捉えて解決できる。だとすればそれは、教育可能な事柄となる。そう考えていけば、「理科の苦手な子」「音楽の苦手な子」と同じレベルで、「コミュニケーションの苦手な子」という捉え方もできるはずだ。そして、「苦手意識の克服」ということなら、どんな子どもでも、あるいはどんな教師でも、普通に取り組んでいる課題であって、それほど深刻に考える必要はない。これはのちのち詳しく触れるが、日本では、コミュニケーション能力を先天的で決定的な個人の資質、あるいは本人の努力など人格に関わる深刻なものと捉える傾向があり、それが問題を無用に複雑化していると私は感じている。」

ただ印象的だったから紹介したわけではなく、平田オリザさんのこの哲学は、小説『幕が上がる』にも影響を与えています。

『幕が上がる』は高校演劇を題材とした物語。もちろん、平田オリザさんがメインとしている分野です。演劇とは、生身の俳優による演技を通して、ストーリーやテーマなどを観客に対し伝えるための表現活動と言えるかと思います。

役者たちは皆、「伝えるため」に演技の腕を磨きます。

それでも伝わらない。

じゃあどうすればいい?

考える。

表現方法を変えてみる。

伝わった!

でも少し伝わるニュアンスが違っているような・・・。

じゃあこうすれば!

また考える。

・・・これって、立派なコミュニケーション能力教育ですよね!伝えたいのに伝わらない、そんな時に人は考える。

「どうすれば伝わるのか」

演劇とは、そんな当たり前のことを自然に学べる体験実習のように感じました。部長のさおりを始め、1年生のおどおどした新人までもが「役を演じる」ことで、果てしなく成長していく。いかに「自分の頭で考える」ということが成長に必要かがよくわかる。

私がこの小説を読んで思ったのは、このことでした。

平野啓一郎さんが『私とは何か』を書いてから、それを物語で表現した傑作『空白を満たしなさい』を書かれたように、平田オリザさんは『わかりあえないことから』を書いてから、それを物語で表現した『幕が上がる』を書かれたのかな、と邪推してしまいます。

ストーリーは、正直そんなに心が踊るようなことは起きません。青春小説のベターではあると思う。ただ、「演劇」というものが、こうまで人の心を豊かにするものなのかと驚くばかりです。

私は、何ものにもなれない自分に苛立っていた。
本当は何かを表現したいのに、その表現の方法が見つからない自分を持て余していた。

演劇は、そんな私が、やっと見つけた宝物だった。

後半に出てくる、語り部・さおりの独白。
ここで私は涙が出ました。何ものにもなれない自分に、伝えたいことを伝えられない自分に嫌気がさす。まさに、そういう局面に私が対峙していたからかもしれません。シンクロしたんでしょうか。

「表現」を学ぶこと。

いま、学校で、職場で、あらゆるところでコミュニケーション不全が起きているこの世の中で、学ばないといけないのは「表現」する能力ではないか。近年、学校でダンスが必修になったことに違和感を感じたことがありますが、今なら少しだけ理解できそうだ。「表現方法」のひとつだから。

でも、それなら「演劇」を必修にしてもいいのではないか?
本気で私はそう思います。

『幕が上がる』を読んだ方なら、きっと理解してもらえるはず。
私は、この本を読んでいない方々に、演劇の、表現教育の必要性を「伝えたい」

スポンサーリンク
スポンサードリンク
スポンサーリンク
スポンサードリンク