映画『共喰い』 閉じられた共同体からの解放は、血の呪いを断ち切れるか。

映画『共喰い』オフィシャルサイト

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母さん、なんで僕を生んだのですか?あの男の血を引く僕を。

栄えある芥川賞授賞式時に、無愛想にマスコミからのインタビューに答えた姿が印象に残る作家・田中慎弥氏。石原慎太郎にまで噛み付くその心意気と、マスコミの思惑通りに自分を変えないその姿に、私は好感を持っていました。その芥川賞受賞作がこの映画の原作『共喰い』。あまりに凄惨な描写が多い本作。とても映画化は難しいと思われていましたが、此度メガホンを撮った青山真治監督は原作者の田中慎弥氏から「絶賛」のコメントを貰っていました。

※詳しくはコチラから読むことができます↓

田中慎弥からのコメント|映画『共喰い』オフィシャルサイト

昭和末期の山口県下関市。

川辺と呼ばれる地域に竣工の篠垣遠馬(菅田将暉)は住んでいる。戦争中に空襲で左腕の先端を失った母・仁子(田中裕子)は、遠馬が住んでいる家から川を一本隔てた先にある魚屋で一人暮らしをしている。なぜこの親子は分かれて暮らしているのか?それは、遠馬の父・円(光石研)と離れて暮らすため。戦争が終わって円と結婚した仁子は、それまで知らなかった。セックスの時に女を殴りつける悪癖が円にあることを。

遠馬が17歳の誕生日を迎えたその日に、千種(木下美咲)と神社の神輿蔵の中でセックスした。遠馬は父のように性欲の権化と成り果てる自分を嫌悪していた。今はまだいい。しかしそう遠くない先、自分はあの父のように相手を殴りつけないとセックスができないクズになってしまうのかもしれない。

円が飲屋街で働く琴子(篠原友希子)を手込めにし、孕ました。琴子は一時、円や遠馬と一緒に暮らしていたが、神社で行なわれるお祭りの前日、琴子は家を出て行った。

「わしの子、持ち逃げしやがってから!」と憤る父・円は琴子を探しに家を飛び出した。そんな円が向かったのは、遠馬を待つ千種がいる神輿蔵。そこで何が起こるのか・・・

狂おしいまでに迫る“血のざわめき”

監督・青山真治は「閉じられた共同体」を映像化したかったようですね。

この映画では、驚く程にこの家族以外が描かれない。遠馬は学校にも通っているし、円は何の仕事をしているのかハッキリしないがちゃんと働いている(真っ当な仕事ではなさそうだが)。それなのに、横の繋がりが全く描かれていない。おぞましいくらいに閉じた世界に、彼らは住んでいる。逃れられないし、逃れようともしていないように見える。

ひたすらに繰り返される暴力とセックス。この閉じた世界ではそれしか行なわれないかのように表現される。遠馬が否応無しに意識せざるを得ない血の呪い。いずれ自分にも発症するであろう暴力への葛藤。とにかくこの世界は閉じられている。まるで世界にはこの5人しかいないかのように。

印象的だったのは遠馬が釣ったうなぎを自分では食べず、円だけに食べさせるシーン。円が琴子を殴りつけながらセックスをしているところや、千種とセックスをしながら暴力を振るうことに葛藤していた自分のことを思い出しながら風呂場で自慰行為に走る遠馬。流れ出た精液が排水溝から下水に向かい、その下水は川に流れ込む。遠馬が釣ったうなぎはその川を泳いでいたもの。この閉じた世界が無限にループしていることを、端的に表現しているのがこのシーンではないでしょうか。

唐突に現れる“あの人”の意味

映画の終盤、突然“あの人”が現れる。経緯はネタバレになるので割愛しますが、不思議な円形の牢獄に入っている仁子が面会に来た遠馬に対し「あの人、血を吐いたんですってね」とつぶやいたんですね。あの人とは誰のことか?映画を観ている最中にはハッキリしなかったのですが、どうやら昭和天皇のことらしい。なんでいきなり天皇が出てくるんだと思いましたが、そういえば仁子は昭和天皇に対し「戦争責任に無自覚だ」と言っていました。

昭和天皇が崩御することは、昭和という時代の解放と捉えることができる。

円がこの閉じた世界からいなくなることは、この共同体の解放と捉えることができる。

つまりは、一緒のことなのだということが分かる。

この解放によって示される遠馬と千種の未来は、少しは明るいものになるのだろうか。原作小説の「その先」をこの映画版では描き、田中慎弥氏は絶賛した。それだけでこの映画には価値がある。私にはそう思えました。

遠馬と千種が希望を持って生きていけることを祈って。

遠馬が血の呪いからも解放されることを祈って。

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