二階堂ふみ×浅野忠信 映画「私の男」 禁忌の関係は、流氷の辿り着く街でこそ美しく煌めく

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禁断のロマンス・近親相姦を描いた直木賞受賞作「私の男」

今年に入って、これほどまでに待ち望んだ映画はなかった。「私の男」は、これ以上のものは見られないんじゃないかと感じた映画「ヒミズ」での二階堂ふみの演技力を軽々と上回る作品になったと前評判で聞いていたからです。ちなみにその映画「ヒミズ」で主演を務めた染谷将太と二階堂ふみは、ベネチア国際映画祭でマルチェロ・マストロヤンニ賞(最優秀新人賞のようなもの)を受賞しました。世界に認められる演技力を見せつけた二階堂ふみが、その作品をも上回る演技力で主演を務めた「私の男」。観ないわけにはいかないでしょう!

映画「私の男」は桜庭一樹さんの同名小説を映画化したもの。2008年に第138回直木賞受を受賞したのですが、私は直木賞よりも芥川賞に向いた作品じゃないのかなと思っています。というのも、エンターテインメント性よりも純文学性が強い作品に感じられたからなんです(直木賞=エンタメ、芥川賞=純文学とされています)。もちろん娯楽的要素はありますが、それよりも禁断の恋模様や行き過ぎた愛情表現、それによって犯罪に手を染める心情など、娯楽で捉えきれない深い業のようなものを強く感じさせるからなんですね。

禁断の恋模様…つまり本作で焦点をあてているのは「近親相姦」です。

ここで近親相姦の是非について議論するつもりはありませんが、個人の持つ性の在り方について少しずつ理解されることが増えてきた中で、近親相姦という禁忌についても考えることが増えてくるかもしれません。男性の心を持った女性、女性の心を持った男性、自分の性別がよくわからない人、両方の性別を行き来している人、男性しか愛せない男性、女性しか愛せない女性・・・この世にある性別は「男と女」という単純な2つだけではないんですね。異性を好きになることが「普通」だとすると、同性愛者を差別することになるため、ヘテロセクシャル(=異性愛者)という呼び名が使われることもあります。単純なコトバひとつとっても、世間的には異常とされていることをしている人たちにとってはナイフとなりかねません。性においても、多様性が求められる時代が求められているのでしょう。

そんな中で、血の繋がりのある人を好きになるのは異常なことのままでしょうか?当然ですが、法律で禁じられているからというのは理由になりません。そもそも現代の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しません。「私の男」では二階堂ふみ演じる腐野花が未成年時代の性交シーンもあるため、その場合は児童虐待など別の刑罰に触れるおそれはあるようですが。成人の近親者間が合意の上で行っている性行為を犯罪として罰することは「被害者なき犯罪」であるとし、身体的もしくは心理的な強要を伴わない場合においては問題ない行為であるという考え方に私は賛成です。

反対者が述べるのは生物学的理論・心理学的理論・社会学的理論の大枠の中でも、特に生物学的観点からが多いでしょう。遺伝的に偏りが生まれるというのは昔からある理論ですが、近親相姦と近親婚、そして末に子を成すかどうかによって、その意味合いは大きく変わってくるのではないでしょうか。「私の男」では父・腐野淳吾(浅野忠信)と娘・腐野花(二階堂ふみ)の間に明確な愛の形はあったものの、子を成そうとしているのかはわかりません。もし単純にふたりが心から愛し合い、お互いを強く求め合った末に性交に至っているだけなのであれば、もはや他人がとやかく言うことではないのかもしれませんね。それに、どうしても近親相姦というスキャンダラスなテーマが強く主張してくるものの、終盤では愛とモラルの境目などわからなくなってしまうでしょう。それほどに、この愛の形は美しい。

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二階堂ふみ 演技の真髄はここにあり!

とにもかくにも、この映画のすばらしさは二階堂ふみの演技力にあるでしょう。「私の男」で二階堂ふみは中学生から25歳までを演じていますが、若干19歳の彼女が今しかできない役回りだったのかもしれません。少女ではなく大人でもない今だからこそ見せられるその魅力は、少女ゆえの純朴さと大人ならではの妖艶さを兼ね備えた、抜群のタイミングだから発揮できたのでしょう。

少女から大人になっていく中で、花と淳吾の関係も少しずつ変わっていきます。共依存の関係はずっと続いていきますが、親子の関係は次第に逆転し始める。淳吾の所有物だった花は、いつの間にか花に主導権が移り、もう淳吾は花無しでは生きていけないことを知る。映画版でのエンディングはそんなことを示唆しているように私には見えました。

父をも惑わすその色気、二階堂ふみ以外に表現できる女優はいないでしょう。伝えるテーマは違えど、完全にヒミズで魅せた演技力を超えています。

もちろん相対する浅野忠信の「色っぽさ」もすばらしいものでした。どちらかというと垢抜けない役回りなのですが、そのうらぶれた感じが非常にそそるんですよ。花の目線で言うと「この人は私なしじゃ生きていけないんだ」という感じですね。そう思わせる魅力に溢れています。

登場人物が少なく、ほとんどの場面はこの親娘だけで話が進んでいきます。それだけにふたりの役作りが重要になってくるのですが、完璧といって差し支えありません。モスクワ国際映画祭コンペティション部門で最優秀作品賞・最優秀男優賞をW受賞したことからも、それがよくわかるでしょう。

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あらすじと見どころ

 シネマトゥデイより

ストーリー:奥尻島に猛威を振るった津波によって孤児となった10歳の花(山田望叶)は遠い親戚だという腐野淳悟(浅野忠信)に引き取られ、互いに寄り添うように暮らす。花(二階堂ふみ)が高校生になったころ、二人を見守ってきた地元の名士で遠縁でもある大塩(藤竜也)は、二人のゆがんだ関係を察知し、淳悟から離れるよう花を説得。やがて厳寒の海で大塩の遺体が発見され、淳悟と花は逃げるように紋別の町を去り……。

見どころは何度も述べているように二階堂ふみと浅野忠信の演技力がメインですが、北海道の情景がとても美しいところも挙げられます。特に流氷のシーンは圧巻。あまり詳しいことを書くとネタバレになるのでサラッと説明しますが、この映画において流氷のシーンは何よりも大事なポイントです。この流氷である事件が起きるのですが、そもそも流氷が撮影ポイントに必ず流れてくるとは限らない。ひたすら待ち、信じた結果が、二階堂ふみが怪演するシーンなんです。そう思って観ると、これは奇跡的に完成したシーンであることがわかりますね。

そしておもしろいのが、禁忌の関係性をもカバーしてくれるのは極寒の北海道・紋別という土地によるところが大きいこと。というのも、物語の後半で舞台は東京に移るのですが、それを機に急に情景が色褪せてしまうんですね。それは別にカメラワークがどうのという話ではなく、そういうふうに撮っているのでしょう。東京に移ってからも花と淳吾の関係性は変わっていないようですが、その神秘さや禁忌感は圧倒的に紋別の方が上です。やっていることは同じなのに、紋別では美しく儚く感じられ、東京では汚らわしく下衆な関係性に感じられる。この対比が実におもしろい。そしてこのあたりからふたりの関係は逆転しているように見えます。つまり、淳吾が花の所有物に変化していくように。東京と北海道、それぞれの土地感をうまく表現していますね。

最後に、この映画には謎がひとつ残ります。
淳吾から花に贈られた誕生日プレゼント「ダイヤのピアス」。物語の重要なシーンで花は、このピアスを耳につけて登場します。ダイヤモンドの石言葉は「永遠の絆・純潔・清浄無垢」。まさに花と淳吾の関係性を表すのにぴったりな宝石ですが、花の挙式を翌日に迎えた物語のラストシーンでは、花の耳にピアスは見当たらない。しかしこの局面でも花は淳吾を誘惑する。花の言動ではわからぬこの変化を、観客はどのように解釈すべきか。

ぜひこのラストについて、観た方と語りたい。もしこうだと思う何かがあれば教えてください。私は…まだ結論が出ていません…。

※私が観てきたHUMAX渋谷では、館内が一面「私の男」デザインになっていました。おみくじやTwitterキャンペーンもやっていましたよ。おみくじは凶でした…。

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